島津重豪とは? わかりやすく解説

しまづ‐しげひで【島津重豪】

読み方:しまづしげひで

[1745〜1833]江戸後期薩摩藩主。藩校医学院の創設など文化事業推進債務解消のため調所広郷(ずしょひろさと)を登用して財政改革図った


島津重豪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 09:04 UTC 版)

島津 重豪(しまづ しげひで)は、江戸時代後期の大名。島津氏25代当主。薩摩藩8代藩主。11代将軍徳川家斉正室御台所)である広大院の父。将軍の岳父として高輪下馬将軍と称されるほど権勢を振るう一方で、学問・ヨーロッパ文化に強い関心を寄せ、蘭癖大名・学者大名としても名を馳せた。


注釈

  1. ^ 『嶋津家分限帳』には「嶋津兵庫家 1万9593石」とある。ちなみに『嶋津家分限帳』とは宝暦5年の重豪襲封の後、重豪が幼少のため幕府が国目付に任命した京極高主らが、翌年10月に薩摩入りした際に薩摩藩に提出させた『松平又三郎家中分限帳』(原本東京大学史料編纂所所収)を、後年肥後藩士が写したもの。分限帳の内容は宝暦6年10月のものであり、当時の薩摩藩の役職者を窺い知ることができる[1]
  2. ^ これは前代未聞の「外様雄藩大名の将軍岳父」が誕生することに懸念を示した一橋治済ら徳川家の親族の思惑や、異例の厚遇を受ける重豪に対して伊達重村ら他の外様大名が反感を強めたため、渋々隠居したためである[3]
  3. ^ 「近秘野艸」では一時期毛利治親の養子で毛利姓であったとする。
  4. ^ この当時、於房なる女性も「島津式部少輔」も実在せず、架空の側室をでっち上げたとされる[8]。藩内の反対意見をお登勢の方の弟・市田盛常が押さえ込んだが、何故このようなことが必要だったかという理由は解明されていない。「寛政重修系図 第5輯」では佐土原島津家分流で島津久寿を家祖とする幕府旗本の島ノ内島津家が式部少輔を称しており、これと関係ある人物か。
  5. ^ 「近秘野艸」では「母石井新六正純亀井能登守矩貞家臣女、称於豊方、又改於房方、又改於富貴方」とある。
  6. ^ 「御家譜」による。『鹿児島県史料集』6所収)では「母於豊方」とある。
  7. ^ 「御家譜」「近秘野艸」では「実は島津兵庫久徴子」とある。更に「近秘野艸」では亀五郎・感之助の義兄で三男(実際は夭折した兄が一人いるため四男)とする。一方、尚古集成館の「島津氏正統系図」では幕府旗本の島ノ内島津家5代当主島津久般(大岡忠相外孫)の密子である娘との子としている。
  8. ^ 「近秘野艸」では谷政相女とする。
  9. ^ a b c 「近秘野艸」には記載無し

出典

  1. ^ 分限帳 1984
  2. ^ 竹下幸佑・酒井利信『近世の薩摩藩郷中における武芸教育に関する史的研究』(筑波大学)より「Ⅲ 考察」
  3. ^ 高澤 1986
  4. ^ 高津 2017.
  5. ^ 大名 - 41.鳥名便覧:国立公文書館”. www.archives.go.jp. 2020年12月5日閲覧。
  6. ^ a b 芳 1980
  7. ^ ミヒェル 2006
  8. ^ 薩藩旧記雑録」追録6-2822
  9. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、479頁。ISBN 978-4-06-288001-5 


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島津重豪(しまづ しげひで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:26 UTC 版)

銀平飯科帳」の記事における「島津重豪(しまづ しげひで)」の解説

薩摩藩第8代藩主登場時は既に隠居)。家斉正室の父であり、将軍家岳父として高輪下馬将軍称されるほど権勢を振るう。麺好きが高じてラーメン自作したが、それで満足せず他人評価知りたくなる。家臣試食させても本音を語らない思い変装して屋台を引き、薩摩藩下屋敷付近一杯32文で販売している。銀二とは後に「重ちゃん・銀さん」の間柄になる。

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島津重豪(しまづ しげひで)

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新・古着屋総兵衛」の記事における「島津重豪(しまづ しげひで)」の解説

薩摩藩8代目当主

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