島津軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 22:45 UTC 版)
島津義弘が率いる薩摩出身者たち。星彩と行動を共にして趙雲軍に合流し、上田城の砦に投獄されていた立花誾千代を解放する。
※この「島津軍」の解説は、「無双OROCHI」の解説の一部です。
「島津軍」を含む「無双OROCHI」の記事については、「無双OROCHI」の概要を参照ください。
島津軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:22 UTC 版)
「戦国BASARAの登場人物」の記事における「島津軍」の解説
最南端で強者を求めて戦う猛者達の軍勢。史実通り伏兵戦術を得意とする。また本拠である最南端は、日本とは思えないほど南国風の熱帯雨林のようなステージとなっている。シンボルカラーは黄土色。 島津義弘(しまづ よしひろ) 声 - 緒方賢一 / 初登場:『1』 肩書:「一刀必殺」(いっとうひっさつ) / 登場時の書き文字:「出陣」 属性:雷 / 武器:大剣 / 防具:肩当 / 一人称:「オイ」「ワシ」 「皇」でのキャッチコピー:薩摩の鬼じいちゃん 史実で壮年期に武士としての最盛期を迎えた点を元に、酒好きで豪快な薩摩の老将として描かれている。最終目的として天下を意識していない訳ではないが、それよりも生涯をかけて戦い抜く強者を求めている硬派な剣豪武将である。口調は九州の方言を組み合わせた独特の訛り。 比類なき一刀必殺術示現流を駆使し「鬼島津」の異名を取る。「戦国最強の本多忠勝と唯一互角に戦える武人」と作中で紹介されており、本多忠勝とはライバル関係にある。伏兵戦術が得意な策士でもあり、そのせいか義弘と対決するステージは敵兵の大半が伏兵であったり、ステージにダメージゾーンが設置されていたりと特徴的なものになっている。 気さくな性格である一方で、真剣勝負に関してはいささかの私情も憐憫も差し挟まない剛直な人物で、一揆を起こしたいつきに対しても同様。織田信長や豊臣秀吉など、いわゆる“覇者”には嫌悪感を持っており、敵視しているが、『2』では忠勝と戦うために秀吉のもとへ下った。慶次を気に入っており、「示現流を継ぐ気はないか」と発言している。謙信とは互いの腕を磨き合う友人であり、倒しても撤退扱いとなる。また酒豪でもあり、ムービーや勝利デモでは大きな徳利を取り出しガブ呑みをする。 巨大な大剣、戦斧や金棒を振るう。ステータスは高く通常攻撃は超強力・超高速ながら、初撃が外れるとその後の攻撃が繋がらないなどクセの強いキャラクターで、戦極ドライブ発動中や敵として登場する際は初撃を外しても攻撃が繋がる。 『2』以降の作品ではステージによってザビー教に入信しており、「チェスト島津」という名になっている。入信の経緯は『2』のザビーストーリーで語られる。 『3』では古き時代の終わりを感じ、古き自分を倒し若者が新しい時代を作るようにと関ヶ原へと向かう。若者、特に三成のことを気に掛けており、幸村や慶次には迷いを晴らす指針となり、三成を元を訪れた際は、家康への復讐しか考えてなかった三成を見て、彼の行き方を見守るため同行した。「九州は自分達で守る」と、官兵衛・宗茂とともに行動することもある(場合によっては三人まとめて大友軍(ザビー教)の信者にもなっている)。 『4』では足利派。示現流を極められず老いて死ぬ事を恐れ、到来した乱世の中真の示現を見つけるため戦場にて敵を問答無用で薙ぎ倒す鬼となる。兵士から慕われることを嬉しく思いつつも、示現を極めるためには鬼になることが必要だという考えから、長い行軍の末疲労で歩けない自軍の兵を突き放したり、降伏を求めた敗残兵を一刻の内に皆殺しにするなど、過去作に比べて冷酷で容赦のない行動を取るようになっている。 『烈伝幸村』のストーリーでは直接登場しないが、関ヶ原にて西軍として出陣を要請される。しかし、伝令の者が下馬せず依頼したことに対し「無礼なり」と一括し、追い返したため参戦しなかった。
※この「島津軍」の解説は、「戦国BASARAの登場人物」の解説の一部です。
「島津軍」を含む「戦国BASARAの登場人物」の記事については、「戦国BASARAの登場人物」の概要を参照ください。
- 島津軍のページへのリンク