下馬将軍(ゲバシヤウグン)
下馬将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:39 UTC 版)
忠清は鎌倉時代に執権であった北条氏に模され、大老就任後は「左様せい様」と称される将軍・家綱のもとで権勢を振るった専制的人物と評される傾向にある。また、伊達騒動を扱った文芸作品など創作においては、作中では伊達宗勝と結託した極悪人として描かれてきた。酒井家は寛永13年(1636年)に江戸城大手門下馬札付近の牧野忠成の屋敷が与えられ、上屋敷となっていた。下馬札とは、内側へは徒歩で渡り下馬の礼を取らなければならない幕府の権威を意識させる場所であり、大老時代の忠清の権勢と重ね合わせ、没後の綱吉期には下馬将軍と俗称されたことが、『老子語録』、『見聞随筆』などの史料に伺える。また戸田茂睡の執筆した『御当代記』にも、忠清が下馬将軍と呼ばれていたという記述がある。
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