御当代記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 23:15 UTC 版)
天和3年の記録に「駒込のお七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と記録されている『御当代記』の著者戸田茂睡(1629-1706)は歌学者として知られ「梨本集」などの著作がある。実家は徳川忠長に仕える高禄の武家だったが、忠長の騒動に巻き込まれて取り潰されて大名家預かりの身になり、その後許されて伯父の家300石の養子になって仕官し、1680年ごろに出家して気ままな暮らしに入っている。 御当代記は五代将軍徳川綱吉が新将軍になった延宝8年(1680年)から茂睡が亡くなる4年前の元禄15年(1702年)までの約22年間の綱吉の時代の政治・社会を、自由な身で戸田茂睡自身が見聞したことを記録していったもので、子孫の家に残され発見されたのは天保年間(1830年代)になってからだが、信憑性の高い史料とされている。御当代記は日記のように毎日記録していったものではないが、事実を時間の経過を追って記録しているものである。
※この「御当代記」の解説は、「八百屋お七」の解説の一部です。
「御当代記」を含む「八百屋お七」の記事については、「八百屋お七」の概要を参照ください。
- 御当代記のページへのリンク