実在の人物としての「八百屋お七」とは? わかりやすく解説

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実在の人物としての「八百屋お七」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 07:54 UTC 版)

八百屋お七」の記事における「実在の人物としての「八百屋お七」」の解説

古来よりお七実説実話)として『天和笑委集』と馬場文耕の『近世江戸著聞集』があげられ「恋のために放火し火あぶりにされた八百屋の娘」お七伝えられていたが、実はお七史実はほとんどわかっていない。歴史史料として戸田茂睡の『御当代記』の天和3年記録わずかに駒込お七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と記録されているだけである。お七時代江戸幕府処罰記録御仕置裁許帳』には西鶴好色五人女書かれ貞享3年(1686年)以前記録にはお七の名を見つけることができないお七年齢放火動機処刑様子事実として知る事はできず、それどころお七の家が八百屋だったのかすらも、それを裏付ける確実な史料はない。 東京女子大学教授日本近世文学専門矢野公和は、天和笑委集近世江戸著聞集詳しく検討し、これらが誇張脚色満ち溢れたのであることを立証している。また、戸田茂睡の『御当代記』のお七記述も後から書き加えられたものであり、恐らくはあいまいな記憶書かれたものであろう矢野推定しお七実在にさえ疑問呈している。 しかし、大谷女子大学教授日本近世文学専門高橋圭一は『御当代記』は後から書き入れられ注釈含め戸田茂睡自身の筆で書かれ少なくとも天和3年お七という女が江戸の町放火したということだけは疑わなくてよいとしている。また、お七処刑のわずか数年後事件当事者生きているときに作者不明なれど江戸で発行され天和笑委集大阪西鶴書いた好色五人女に、違いはあれど八百屋の娘お七の恋ゆえの放火という点で一致しているのは、お七処刑直後から東西広く噂が知られていたのだろうとしている。お七に関する資料信憑性懐疑的な江戸災害研究家黒木喬も、好色五人女お七処刑からわずか3年後出版されている事から少なくともお七モデルになった人物はいるのだろうとしている。もしもお七のことがまったくの絵空事だったら事件実在しないことを知っている人が多くいるはずのお七事件からわずか3年後貞享3年あれほど同情集めるはずが無いとしている。

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