島津忠国
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島津 忠国(しまづ ただくに)は、室町時代の武将、守護大名。薩摩・大隅・日向守護。島津氏第9代当主。父は8代当主島津久豊、母は伊東祐安の娘。子に友久、立久、久逸、勝久、忠経、守棟、忠弘、頼久、娘(伊集院煕久室)。幼名は虎寿丸、初名は貴久。官職は修理大夫、陸奥守。法名は大岳玄誉。
- ^ 「酒匂安国寺申状」など
- ^ 新名、2015年、P188-193
- ^ 新名、2015年、P193-205。なお、長男の友久は持久派である伊作教久の姉を母としており、忠国を擁立した一揆は敵方の血を引く友久を排除して同志の一人である新納忠臣の娘が生んだ立久を後継者として擁したとされる。
- ^ 新名、2015年、P205-211・248-252。
- ^ 新名、2015年、P211-218。
- ^ 『相良家文書』「相良氏山門知行以下由緒書」。なお、同書には持久を再び当主に擁立する動きがあったと記されているが、系譜によれば長禄3年2月に持久は没したため失敗したとみられる。
- ^ 新名、2015年、P315-316
- ^ 安里進・他『沖縄県の歴史』(県史47)、山川出版社、2004年、117頁。
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