中村の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:01 UTC 版)
鎌倉時代頃の中村付近は惣領矢上氏の庶家が領していたとされ、「薩藩旧記」によれば矢上氏の一族で中村を領地としていた中村覚澄が中村氏を称したとされる。 中村という地名は南北朝時代より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。文和3年(1354年)の一色範氏宛行状に見えるのが初見であると考えられる。宛行状には「薩摩国鹿児島郡々司職、同郡内中村、郡本、田上村」と見え、中村は島津貞久に宛行われていた。 応永24年(1417年)に中村と郡本(現在の郡元)が島津忠国によって町田飛彈に宛行われた。島津氏が清水城を現在の稲荷町に築城したころには、中村は清水城から広がった城下町の近郷となっていた。
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