島津久家とは? わかりやすく解説

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島津久家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 19:01 UTC 版)

島津 久家
生誕 (1876-07-23) 1876年7月23日[1][2]
宮崎県[注釈 1]都城
死没 (1922-01-19) 1922年1月19日(45歳没)[1]
東京市
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1901年 - 1922年
兵科 歩兵科
最終階級 少佐
指揮 近衛第2師団歩兵第2連隊大隊長
勲章 功五級金鵄勳章[2]
配偶者 恭子(明治18.8生、伯爵南部利淳妹)[2]
子女 淑子(黒岡通孝夫人)、圭子(姉小路公俊夫人)、瑛子(姉小路公俊夫人)、島津久厚
墓所 龍峯寺跡島津家墓地[1]
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島津 久家(しまづ ひさいえ)は、明治時代から大正時代陸軍軍人都城島津家27代当主。宮崎県[注釈 1]都城出身。正四位勲四等男爵

経歴

25代当主久静の弟で分家北郷家に養子に入った北郷久政の長子。

明治17年(1884年)、26代当主久寛が急死し子どもがいなかったことから、本家の家督を相続。明治24年(1891年)12月18日付けで、都城島津家の由緒と久寛の維新の功により男爵を授爵。

明治34年(1901年)に陸軍歩兵少尉に任官。軍事学研究のためフランスに留学。

明治37年(1904年日露戦争開戦にあたって従軍のため帰国し、近衛歩兵第2連隊に入り中尉に進級、さらに大尉に進み、軍功により受勲される。

大正7年(1918年)1月31日、陸軍少佐進級。

大正11年(1922年)1月19日、近衛師団奉職中、病気で東京にて死去。

脚注

注釈

  1. ^ a b 明治9年時点においては、宮崎県は鹿児島県に併合されていた。

出典

  1. ^ a b c 27代 島津久家(しまづひさいえ)1877~1922”. 宮崎県都城市ホームページ. 都城島津邸. 都城市 (2021年6月4日). 2024年9月17日閲覧。
  2. ^ a b c 島津久家 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)]”. 人事興信録データベース. 名古屋大学. 2024年9月17日閲覧。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
(都城)島津家初代
1891年 - 1922年
次代
島津久厚



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