島津忠直_(垂水家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 島津忠直_(垂水家)の意味・解説 

島津忠直 (垂水家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 07:43 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
島津忠直
時代 江戸時代
生誕 貞享5年4月5日1688年5月4日
死没 正徳元年6月25日1711年8月9日
別名 又四郎、玄蕃(通称
墓所 鹿児島県垂水市田神垂水島津家墓所(心翁寺跡)
主君 島津綱貴吉貴
薩摩藩
氏族 垂水島津家
父母 父:島津綱貴、母:お豊の方(江田国重の娘)
鎌鶴(島津貴儔室)、養子:貴儔

島津 忠直(しまづ ただなお)は、江戸時代前期から中期の薩摩藩士。大隅郡垂水[1]領主。垂水島津家8代当主。

経歴

貞享5年(1688年)4月5日、薩摩藩主島津綱貴の三男として生まれる。元禄6年(1693年)、綱貴の命で垂水島津久治の家督を相続した。家中の序列は、加治木島津家の久季に次ぐ2番目。

先代久治から続く嫁女川(よめじょがわ)疎水工事を継続した。工事には3万両と50年の月日を費やし、次代貴儔の寛保元年(1741年)に竣工した。

正徳元年(1711年)6月25日。享年24。家督は藩主島津吉貴(忠直の兄)の三男貴儔が相続した。貴儔と正室鎌鶴(忠直次女)の娘都美は、加治木家の島津久門(のちの7代藩主重年)に嫁ぎ、8代藩主重豪を産んでいる。

和歌

  • 君が代はいつもかはらぬ松が枝の幾千年をかながく契らん
    元禄12年(1699年)4月14日、父綱貴50歳を祝う祝宴の席で献じた和歌(西藩野史)

脚注

参考文献

  • 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年
  • 『西藩野史』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「島津忠直_(垂水家)」の関連用語

島津忠直_(垂水家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



島津忠直_(垂水家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの島津忠直 (垂水家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS