島津 貴典 (しまづ たかのり)は、江戸時代 後期の薩摩藩 士。大隅郡 垂水[1] 領主。藩主一門垂水島津家13代当主。
経歴
文化7年(1810年)9月19日、島津一門四家の垂水島津家当主貴柄 の長男として生まれる。文政 11年(1828年 )、重富島津忠貫 の娘お絮(いと)と結婚する。天保 2年(1831年 )、父の隠居にともなって家督を相続する。活動としては領内各地を巡検するなどしている。また賢君であったという。
天保 9年(1838年 )、家臣伊地知季虔に桜島 安永大噴火 の様子を記した「桜島燃記」をまとめさせている。
嘉永 4年(1851年 )、藩主に襲封した島津斉彬 に、他の一門家当主とともに登城している。
安政 3年(1856年 )、隠居して家督を子の貴敦 に譲った。元治2年(1865年)1月18日死去。享年56。
脚注
参考文献
『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年
宗家
忠久 ????-1227 | 忠時 1227-1265 | 久経 1265-1284 | 忠宗 1284-1318 | 貞久 1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
総州家
師久 1363-1376 | 伊久 1376-1404 | 守久 1404-???? | 久世 ????-1417 | 久林 1417-1430 | 断絶
奥州家
氏久 1363-1387 | 元久 1387-1411 | 久豊 1411-1425 | 忠国 1425-1470 | 立久 1470-1474 | 忠昌 1474-1508 | 忠治 1508-1515 | 忠隆 1515-1519 | 勝久 1519-1526 | 貴久 1526-1566 | 義久 1566-1587 | 義弘 1587-1602 | 家久 1602-1638 | 光久 1638-1687 | 綱貴 1687-1704 | 吉貴 1704-1721 | 継豊 1721-1746 | 宗信 1746-1749 | 重年 1749-1755 | 重豪 1755-1787 | 斉宣 1787-1809 | 斉興 1809-1851 | 斉彬 1851-1858 | 忠義 1858-1897 | 忠重 1897-1968 | 忠秀 1968-1996 | 修久 1996-現在
越前家
播磨家
忠行
行景
忠政
忠幹
忠藤
忠兼
忠親
範忠
忠儙
忠秀
忠光
忠勝
忠持
忠長
忠之
義弘
政之
義綱
忠長
良久
忠義…義清
義重
忠正
信夫
昌之
伊作家
久長 1281-1317 | 宗久 1317-1354 | 親忠 1354-1371 | 久義 1371-1422 | 勝久 1422-1433 | 教久 1433-1442 | 犬安丸 1442-1458 | 久逸 1458-???? | 善久 ????-1494 | 忠良 1494-1526 | 相州家相続
薩州家
用久 ????-1459 | 国久 1459-1498 | 成久 1498-???? | 忠興 ????-1525 | 実久 1525-1553 | 義虎 1553-1585 | 忠辰 1585-1595 | 断絶
相州家 →垂水家
豊州家
玉里家
久光 1871-1887 | 忠済 1888-1915 | 忠承 1915-1990 | 忠広 1990-現在
加治木家
佐土原家
忠興 1610-1637 | 久雄 1637-1663 | 忠高 1663-1676 | 久寿 1676-1690 | 惟久 1690-1723 | 忠雅 1723-1753 | 久柄 1753-1785 | 忠持 1785-1816 | 忠徹 1816-1839 | 忠寛 1839-1896 | 忠亮 1896-1909 | 忠麿 1909-1926 | 久範 1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
重富家
和泉家→ 今和泉家
宮之城家
永吉家
家久
豊久
忠栄
久雄
久輝
久貫
久抦
久芳
久寛
久輔
久明
久陽
久敬
久籌
久徴
久憲
泰輝
基之
博之
日置家
北郷氏 →都城家
佐多氏 → 知覧家