島津忠敬とは? わかりやすく解説

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島津忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 09:46 UTC 版)

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島津忠敬
時代 江戸時代末 - 明治時代
生誕 天保3年8月2日1832年8月27日
死没 明治25年(1892年1月14日
改名 峯熊(幼名)、忠敬
別名 峯之助、安芸、卿清(別名)
主君 島津忠義
薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津忠剛、母:河野通記女
兄弟 忠冬久敬、猛熊、忠敬、於一(天璋院)、
於熊、於龍、於才
正室:村橋静雲の娘
忠欽
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島津 忠敬(しまづ ただゆき)は、島津氏今和泉家第12代当主。第10代当主・島津忠剛の庶子、母は河野通記の娘。

安政6年(1859年)、兄忠冬の没後、その家督を継いで今和泉家当主となった。文久3年(1863年)、薩英戦争に従軍して活躍している。薩摩藩島津忠義の弟にあたる姪婿の島津忠欽が跡を継いだ。異母妹に第13代将軍徳川家定の正室となった天璋院(於一、篤姫)がいる。

島津久光はかつては読みが同じ忠教(ただゆき)を名乗っていたが、別人である。

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