島津忠宗_(越前家)とは? わかりやすく解説

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島津忠宗 (越前家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 06:11 UTC 版)

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島津忠宗
時代 鎌倉時代後期
生誕 建治1年(1275年)?
死没 元応1年(1319年)?[1]
別名 通称:常陸五郎
官位 左衛門尉大夫判官従五位豊後
幕府 鎌倉幕府
主君 久明親王守邦親王
氏族 島津越前家
父母 父:島津忠景
忠秀
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島津 忠宗(しまづ ただむね)は、鎌倉時代後期の武将歌人知覧(院)氏の祖。

和歌に優れ、『続千載和歌集』、『新後撰和歌集』に詠歌が残る。これらの作品は島津氏宗家4代当主・島津忠宗の作品とされる場合が多いが、『勅撰作者部類』には「惟宗(島津)忠宗 常陸介忠景男」と明記があり、また父・島津忠景、子・忠秀が共に勅撰作者である家系的な側面から考えても、越前家の忠宗の作とみる方が自然である[2]

脚注

  1. ^ 「島津氏系図」(『越前島津家文書』所収)に「応長九年死去年四十五」と記録があるが、応長は2年で終わっていることから(1311年1312年)、応長1年(1311年)から数えて9年目の元応1年(1319年)没を意味すると思われる。ただし、杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』によれば、「応長九年」は「応長元年」の誤記ではないかと指摘され、その生没年は文永4年(1267年)-応長元年(1311年)であるとされる。
  2. ^ 杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』



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