島津 久竹 (しまづ ひさたけ)は、薩摩国 薩摩藩 家老 宮之城島津家 第5代。
家系
宮之城島津家家は、島津忠良 の三男尚久 に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降に薩摩国宮之城を領した。
略歴
寛永12年(1636年)島津家家臣島津久通の次男として生まれる。母は大伯父忠倍の娘。父久通は藩主光久に仕え、藩の殖産興業 に功績のある家老だった。
慶安元年(1648年 )藩主光久の供をして江戸に下り、4月に将軍徳川家光 に拝謁する。明暦3年(1657年 )8月、藩主光久の妹と結婚。[1]
寛文 12年(1672年 )父久通が隠居し、家督を相続し家老となる。記録方総監として島津家の系譜の編纂に当たった。延宝9年(1681年 )5月、将軍徳川綱吉 に拝謁。[1]
元禄6年(1693年)10月16日、死去。享年58。
人物
儒学者 愛甲喜春に学び、次いで林春斎 の門人となる。詩 を能くした。延宝 6年(1678年 )に師春斎の銘文が刻まれた「祖先世功碑」を建立した。
出典
参考文献
宗家
忠久 ????-1227 | 忠時 1227-1265 | 久経 1265-1284 | 忠宗 1284-1318 | 貞久 1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
総州家
師久 1363-1376 | 伊久 1376-1404 | 守久 1404-???? | 久世 ????-1417 | 久林 1417-1430 | 断絶
奥州家
氏久 1363-1387 | 元久 1387-1411 | 久豊 1411-1425 | 忠国 1425-1470 | 立久 1470-1474 | 忠昌 1474-1508 | 忠治 1508-1515 | 忠隆 1515-1519 | 勝久 1519-1526 | 貴久 1526-1566 | 義久 1566-1587 | 義弘 1587-1602 | 家久 1602-1638 | 光久 1638-1687 | 綱貴 1687-1704 | 吉貴 1704-1721 | 継豊 1721-1746 | 宗信 1746-1749 | 重年 1749-1755 | 重豪 1755-1787 | 斉宣 1787-1809 | 斉興 1809-1851 | 斉彬 1851-1858 | 忠義 1858-1897 | 忠重 1897-1968 | 忠秀 1968-1996 | 修久 1996-現在
越前家 播磨家
忠行
行景
忠政
忠幹
忠藤
忠兼
忠親
範忠
忠儙
忠秀
忠光
忠勝
忠持
忠長
忠之
義弘
政之
義綱
忠長
良久
忠義…義清
義重
忠正
信夫
昌之
伊作家
久長 1281-1317 | 宗久 1317-1354 | 親忠 1354-1371 | 久義 1371-1422 | 勝久 1422-1433 | 教久 1433-1442 | 犬安丸 1442-1458 | 久逸 1458-???? | 善久 ????-1494 | 忠良 1494-1526 | 相州家相続
薩州家
用久 ????-1459 | 国久 1459-1498 | 成久 1498-???? | 忠興 ????-1525 | 実久 1525-1553 | 義虎 1553-1585 | 忠辰 1585-1595 | 断絶
相州家 →垂水家 豊州家 玉里家
久光 1871-1887 | 忠済 1888-1915 | 忠承 1915-1990 | 忠広 1990-現在
加治木家 佐土原家
忠興 1610-1637 | 久雄 1637-1663 | 忠高 1663-1676 | 久寿 1676-1690 | 惟久 1690-1723 | 忠雅 1723-1753 | 久柄 1753-1785 | 忠持 1785-1816 | 忠徹 1816-1839 | 忠寛 1839-1896 | 忠亮 1896-1909 | 忠麿 1909-1926 | 久範 1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
重富家 和泉家→ 今和泉家 宮之城家 永吉家
家久
豊久
忠栄
久雄
久輝
久貫
久抦
久芳
久寛
久輔
久明
久陽
久敬
久籌
久徴
久憲
泰輝
基之
博之
日置家 北郷氏 →都城家 佐多氏 → 知覧家