中山忠愛とは? わかりやすく解説

中山忠愛

読み方なかやま

公卿。字は子誠、号は東園。忠能の嗣子仕えて右中将に至る。明治15年(1882)歿、51才。

中山忠愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 15:36 UTC 版)

 
中山忠愛
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保3年10月23日1832年11月15日[1]
死没 明治15年(1882年7月25日[1]
別名 字:子誠、号:東園
官位 右近衛中将
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 中山家
父母 父:中山忠能、母:中山愛子松浦清の十一女)
兄弟 忠愛慶子正親町公董忠光
忠直、孝麿
テンプレートを表示

中山 忠愛(なかやま ただなる)は、江戸時代後期の公卿准大臣中山忠能の長男。字は子誠、号は東園。官位従四位右近衛中将。維新後は華族中山家25代当主。

経歴

中山忠能の長男として誕生。母は松浦藩松浦清の十一女中山愛子1863年文久3年)、右近衛中将に至るが、養子であった同母弟・忠光天誅組の変を起こし、忠能から義絶された。また弟正親町公董三条実美と面会したとされて差控となり、忠能は半引退状態となった。さらに翌年の禁門の変で忠能・忠愛父子は長州藩に好意的な態度を取ったとして参朝・他行・面会を禁じられて失脚した[2]1867年(慶応3年)正月の孝明天皇崩御と明治天皇践祚にともなう大赦が行われ、禁門の変で処分された公家の復権が行われたものの、忠能・忠愛父子はこれに含まれていなかった[3]。同月の23日になって忠能は赦免され、ようやく復権した[4]。忠愛は1868年慶応4年3月19日)に参与に任じられている[5]1876年(明治9年)には従四位位階を返上している[6]

明治15年(1882年)に没し、祭粢料500円が下賜された[7]。享年51。

系譜

脚注

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.251
  2. ^ 刑部芳則 2018, p. 173.
  3. ^ 刑部芳則 2018, p. 204-205.
  4. ^ 刑部芳則 2018, p. 207.
  5. ^ 中山忠愛ヲ参与職ニ任ス」 アジア歴史資料センター Ref.A15070204100 
  6. ^ 太政官日誌明治9年第48号」 アジア歴史資料センター Ref.C07040204800 
  7. ^ 華族故中山忠愛ニ宮内省ヨリ祭粢料下賜」 アジア歴史資料センター Ref.A15110043500 

参考文献

  • 刑部芳則『公家たちの幕末維新-ペリー来航から華族誕生へ』中央公論新社〈中公新書〉、2018年。ISBN 978-4121024978 



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中山忠愛」の関連用語

中山忠愛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中山忠愛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中山忠愛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS