島津久宝 (宮之城家)とは? わかりやすく解説

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島津久宝 (宮之城家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 16:05 UTC 版)

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島津久宝
時代 江戸時代
生誕 文化13年6月11日1816年7月5日
死没 嘉永5年12月5日1853年1月14日
別名 図書(通称)
墓所 鹿児島県宮之城町宗功寺
主君 島津斉興斉彬
薩摩国薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津久儔
兄弟 久中久宝
久治室、養子:久治
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島津 久宝(しまづ ひさたか)は、薩摩国薩摩藩宮之城島津家第14代。

家系

宮之城島津家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。久方の代に一所持となり、久倫の代に大身分となる。家紋は宮之城十文字。

略歴

文化13年(1816年)薩摩藩宮之城領主島津久儔の子として生まれる。文政10年(1827年)父久儔と兄久中が相次いで死去したため、宮之城島津家の家督を相続した。

天保4年(1833年)1月、江戸高輪邸で8代藩主の島津重豪が死去し、世子斉彬に代わって菩提寺の福昌寺に代拝した。[1]

嘉永5年(1852年)2月に重富家島津忠教(久光)の次男久治を婿養子に迎える。嘉永5年(1853年)12月5日、死去。享年38。

出典

  1. ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P12

参考文献




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