男爵家の一覧とは? わかりやすく解説

男爵家の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:26 UTC 版)

男爵」の記事における「男爵家の一覧」の解説

叙爵内規男爵叙爵基準として「一新華族二列セラレタル者 国家勲功アル者」と定めており、以下のような人々男爵位を与えられた。 一新華族二列セラレタル者明治以降華族分家89家) 明治以降華族から分家した家が叙爵される場合は「一新華族二列セラレタル者」の内規に基づき基本的に男爵位が与えられた。ただしごく一部子爵になっており、また玉里島津家徳川慶喜家については特例的に公爵叙された。本家の方で華族体面汚さない程度財産用意してやれることが分家華族に列せられる条件だったので裕福ではない旧公家華族や旧小大名華族には分家華族作るのは難しかった華族叙されなかった場合明治以降華族分家平民となる(士族ではない。士族江戸時代武家等だった家に与えられる身分であるため、華族分家であろう明治以降創設された家は平民になる)。つまり華族次男以下は当初華族戸籍入っている無爵華族であるが(爵位を持つのは戸主のみ)、分家して独立した戸主になる際、華族体面汚さない財産確保できれば分家華族として男爵叙され確保できず爵位認められなければ平民ということである。以下の家が分家華族として男爵位を与えられた家である。浅野養長家(浅野侯爵分家)、有馬家有馬伯爵家分家)、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}伊江家(いえ)(尚侯爵分家)、一条家土佐一条家)(一条公爵分家)、伊藤家伊藤公爵分家)、岩倉具経家(岩倉公爵分家。後に子爵)、岩倉具徳家(岩倉公爵分家)、岩倉道倶家(岩倉公爵分家1946年襲爵せず)、正親町家おおぎまち)(正親町伯爵家分家1922年継承者欠く)、大村家大村伯爵家分家)、北小路家北小路大江氏子爵分家1901年返上)、北畠家久我侯爵分家)、吉川家吉川子爵分家)、久我家久我侯爵分家)、九条良致家(九条公爵分家1940年襲爵せず)、九条良政家(九条公爵分家)、黒田家黒田侯爵分家)、小早川家毛利公爵分家)、酒井忠積家(姫路酒井伯爵家分家1920年返上)、酒井忠惇家(姫路酒井伯爵家分家)、佐竹義脩家(岩崎佐竹子爵分家1929年返上)、真田家真田伯爵家分家)、沢家(沢伯爵家分家)、三条家三条公爵分家1924年本家相続廃家)、四条家四条侯爵分家)、島津健之助家(佐土原島津伯爵家分家)、島津忠欽家(玉里島津公爵分家)、島津忠弘家(島津公爵分家)、島津忠備家(島津公爵分家)、尚寅家(尚侯爵分家)、尚順家(尚侯爵分家)、鷹司家鷹司公爵分家)、伊達宗敦家(宇和島伊達侯爵家及び仙台伊達伯爵家分家)、伊達宗倫家(宇和島伊達侯爵分家)、玉松家山本子爵分家)、津軽家津軽伯爵家分家)、鶴殿家九条公爵分家)、徳川厚家(徳川公爵家分家)、徳川誠家(徳川慶喜公爵分家)、徳川義恕家(尾張徳川侯爵分家)、徳大寺家徳大寺公爵分家)、長岡家細川侯爵分家。後に子爵)、今帰仁家(なきじん)(尚侯爵分家)、中御門家中御門侯爵分家)、鍋島家鍋島侯爵分家)、二条家二条公爵分家)、若王子家(にゃくおうじ)(山科伯爵家分家)、東久世家(東久世伯爵家分家)、東三条家三条公爵分家)、坊城家坊城伯爵家分家)、細川家細川侯爵分家1914年本家相続のため廃家)、前田利武家(前田侯爵分家)、松崎家(堤子爵分家)、松平家津山松平子爵分家)、松前家松前子爵分家)、万里小路家までのこうじ)(万里小路伯爵家分家)、毛利家毛利公爵分家)、山縣家山縣公爵分家)、山内豊尹家(山内侯爵分家。後に子爵)、鷲尾家鷲尾伯爵家分家奈良華族 - 旧公家分家興福寺僧侶になったが、維新後勅令還俗して華族列していた家は俗称でこう呼ばれた。彼らも明治以降華族分家として男爵位を与えられた。旧公家華族自体貧しい家が多かったが、その分家である奈良華族はさらに貧しい家が多く明治45年制定され男爵華族救恤資金年間300円の援助)の対象は主に奈良華族だった。粟田口家あわたぐち)(葉室伯爵家分家)、今園家芝山子爵分家)、太秦家うずまさ)(桜井子爵分家)、梶野家石井子爵分家)、河辺家油小路伯爵家分家)、北大路家阿野子爵分家)、北河原家室町伯爵家分家)、小松家石井子爵分家)、相楽家(さがら)(富小路子爵分家1943年継承者欠く)、原家甘露寺伯爵家分家1888年返上)、鹿園家三条公爵分家)、芝小路家芝山子爵分家)、亭家(裏辻子爵家分家)、杉渓家すぎたに)(山科伯爵家分家)、竹園家(甘露寺伯爵家分家1899年返上)、中尾家(勧修寺伯爵家分家)、中川家甘露寺伯爵家分家1887年返上)、西五辻家(にしいつつじ)(五辻子爵家分家)、藤枝家飛鳥井伯爵家分家)、藤大路家堀河子爵分家)、穂穙家(ほづみ)(坊城伯爵家分家)、松林家(上冷泉伯爵家分家)、松園家二条公爵分家)、南家広橋伯爵家分家)、南岩倉家岩倉公爵分家)、水谷川家みやがわ)(近衛公爵分家旧地下家だった華族(2家) - 基本的に地下家士族になっていたが、押小路家壬生家(みぶ)は地下家中でも家格高く、他の地下官人たちを統括しそれぞれ大外記官務」と呼ばれた)、官位三位まで登る「准公卿」的存在だったため特別に華族列していた。しかし旧公卿華族たちとは区別され一新華族二列セラレタル者」として男爵叙された。押小路家壬生家華族取り立て見て自分たちにも資格があると華族取り立て運動行った旧地下家士族藤島家細川家など)もあったが、結局押小路家壬生家以外には華族地位認められなかった(旧地下家勲功によって華族になった家はある)。 旧交寄合だった旧大名華族(6家) - 江戸時代交代寄合だった家のうち以下の6家は、1868年慶応4年明治元年6月20日から11月20日の間に戊辰戦争官軍協力した功績加増されたり、「高直し」で石高万石以上になったことを政府申告して認めてもらったことなどにより大名として立藩して華族列していた。しかし彼らは江戸時代から大名だった家とは区別されて「一新華族二列セラレタル者」として男爵位を与えられた。数字江戸時代交代寄合としての家禄立藩した後の藩名家禄である。池田家6000石→播磨福本藩1万573石。1894年返上)、生駒家8000石→出羽矢島藩1万5200石)、平野家5000石→大和田原本藩1万1石)、本堂家8000石→常陸志筑藩1万110石)、山崎家5000石→備中成羽藩1万2746石)、山名家(6700石→但馬村岡藩1万1000石) 陪臣だった旧大名華族(7家) - 江戸時代通じて御附家老たちは独立諸侯として認められない立場に不満を持ち続け、その独立意識旺盛主家ないがしろにする行動多かった幕末王政復古は彼らにとって独立諸侯となる千載一遇のチャンスであり、また権力基盤不安定だった新政府にとっても彼らを味方に付ける意味は大きく利害一致して慶応4年1月24日に彼らは政府により独立諸侯認められた(維新立藩。なお、本多副元家(福井藩御附家老)は維新立藩されず、遅れて明治12年華族。)。吉川家御附家老ではないが、王政復古に際して勲功があったので慶応4年3月13日独立諸侯認められた。ただしこれら旧陪臣諸侯旧交寄合諸侯と同様、江戸時代から諸侯だった家とは区別されて「一新華族二列セラレタル者」として男爵位を与えられた(吉川家成瀬家については維新功績により1891年子爵に陞爵)。安藤家紀伊田辺藩紀州藩御附家老)、吉川家周防岩国藩長州藩一門1891年子爵)、竹腰家たけのこし)(美濃今尾藩尾張藩御附家老)、中山家常陸松岡藩水戸藩御附家老)、成瀬家(尾張犬山藩尾張藩御付家老1891年子爵)、本多副元家(福井藩御附家老)、水野家紀伊新宮藩紀州藩御附家老国家勲功アル者旧大藩藩主一門および家老家67家)。これらの家は「一新華族二列セラレタル者」に該当しないため、「維新の功」「戊辰戦争・西南戦争の功」「北海道開拓の功」などを理由にして、「国家勲功アル者」として男爵位を与えられた。彼らの叙爵概ね日清戦争後から日露戦争前の間に行われた。以下の家がある。浅野忠純家(広島藩一門)、浅野守夫家(広島藩一門)、荒尾之茂家(鳥取藩家老)、荒尾嘉就家(鳥取藩家老)、有吉家熊本藩家老)、伊賀家(土佐藩家老)、伊木家岡山藩家老)、池田長準家(岡山藩一門)、池田博愛家(岡山藩一門)、池田政和家(岡山藩一門)、諫早家いさはや)(佐賀藩家老)、石河家(いしこ)(尾張藩家老)、稲田家徳島藩家老)、今枝家加賀藩家老)、上田家広島藩家老)、奥村家加賀藩家老)、奥村家加賀藩家老)、小原家(大垣藩家老)、賀島家徳島藩家老1942年襲爵せず)、片倉家仙台藩家老)、木俣家彦根藩家老)、国司家長州藩家老)、黒田家福岡藩一門)、米田家(こめだ)(熊本藩家老1914年子爵)、佐竹義雄家(秋田藩一門)、佐竹義尚家(秋田藩一門1946年返上)、佐竹義遵家(秋田藩一門)、佐竹義準家(秋田藩家老)、沢村家熊本藩家老)、宍戸家長州藩家老)、斯波家加賀藩家老)、島津珍彦家(薩摩藩一門)、島津貴暢家(薩摩藩一門)、島津長丸家(薩摩藩一門)、島津隼彦家(薩摩藩一門1945年襲爵せず)、島津久賢家(薩摩藩一門)、島津久明家(薩摩藩一門)、島津久家家(薩摩藩一門)、清水家長州藩家老)、多久家佐賀藩家老)、伊達邦成家(仙台藩一門)、伊達正人家(仙台藩一門)、種子島家薩摩藩家老)、長家(ちょう)(加賀藩家老)、藤堂高成家(津藩一門)、土倉家岡山藩家老)、鍋島茂昌家(佐賀藩一門)、鍋島直明家(佐賀藩一門)、南部家盛岡藩家老)、深尾家土佐藩家老)、福原家長州藩家老)、日置家(へき)(岡山藩家老)、細川興増家(熊本藩一門)、細川忠穀家(熊本藩家老)、本多副元家(福井藩御附家老)、本多政以家(加賀藩家老)、前田孝家(加賀藩一門1947年返上)、前田直行家(加賀藩一門)、益田家長州藩家老)、松井家熊本藩家老)、三浦家紀州藩家老)、村井家加賀藩家老)、毛利重輔家(長州藩一門)、毛利祥久家(長州藩一門)、山内豊積家(土佐藩一門)、横山家加賀藩家老)、渡辺家尾張藩家老忠臣華族(5家) 南朝功臣の子孫にあたる菊池家旧交寄合)、五条家(旧柳川藩士)、名和家(旧柳川藩士)、南部家(旧南部藩士)、新田家旧交寄合)の5家が先祖の功により「国家勲功アル者」として男爵位が与えられた。後醍醐天皇忠臣中でも武勲第一だった楠木正成大楠公)を出した楠木家は嫡流子孫はっきりしなかったため華族とはならなかった。 神職僧侶華族18家) 由緒ある神社神職のうち古い家柄社家浄土真宗10派の総本山たる門跡寺院准門跡寺院住職世襲している僧家先祖の功により「国家勲功アル者」として男爵位を与えられた(東西本願寺の両大谷家伯爵)。門跡寺院浄土真宗以外の宗派にも存在するが、浄土真宗のみが華族となったのは真宗だけ世襲でやっていたからである。華族とは世襲身分なので世襲住職であることは必須だった。阿蘇家阿蘇神社神職)、荒木田家伊勢神宮神職)、到津家(いとうづ)(宇佐神宮神職)、小野家日御碕神社神職)、金子家物部神社神職)、河辺博長家(伊勢神宮神職)、紀家(きい)(日前・国懸両神神職)、北島家出雲大社神職)、木辺家(浄土真宗木辺派総本山錦織寺住職)、渋谷家(しぶたに)(浄土真宗渋谷総本山仏光寺住職)、千家家出雲大社神職)、千秋家せんしゅう)(熱田神宮神職)、高千穂家英彦山天台修験座主)、津守家(つもり)(住吉大社神職)、常盤井家(ときわい)(浄土真宗高田派総本山専修寺住職)、華園家浄土真宗興正派総本山興正寺住職)、松木家伊勢神宮神職)、宮成家(宇佐神宮神職実業界18家) 著名な実業家には経済発展の功により「国家勲功アル者」として男爵位が与えられることがあった。岩崎弥之助家(1896)、岩崎久弥家(1896)、大倉家(1915)、川崎家(1920叙爵1946襲爵せず)、鴻池家こうのいけ)(1911)、近藤家(1911)、渋沢家正確に1900年男爵叙爵維新の功で1920年の子爵陞爵が経済発展の功)、住友家(1911)、園田家(1918)、団家(1928)、藤田家(1911)、古河家(1915)、三井高棟家(1896)、三井高弘家(1911)、三井高保家(1915)、森岡家(1898)、森村家(1915)、安川家(1920) その他の勲功者その他政治家・官僚・軍人学者などに叙爵みられるとりわけ日清日露戦争後の軍人戦功叙爵男爵急増している。政治家系の勲功華族は、華族令当初遅れた場合も、男爵飛ばして子爵などから叙爵されたケースも多い(桂太郎陸奥宗光ら)。また特殊な事例として江戸時代上総請西藩藩主だった林家戊辰戦争1万石から300石に減封となり大名地位失ったため、華族列してなかったが、1893年特旨により男爵列している。

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