華族として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:20 UTC 版)
1934年4月、父である土御門晴善が死去した。同年5月、晴善の長男として子爵の爵位を継ぎ、家督を相続した。1938年4月4日、第2回全国易道大会が開催され、社団法人である大日本陰陽会(のちの日本易学連合会)の副総裁に就任した。総裁には伊勢神宮大宮司の三室戸和光の養嗣子である三室戸敬光が就いた。晴善と敬光とは実の従兄弟同士であるため、凞光にとって敬光は実の従叔父にあたる。大日本陰陽会の副総裁として、易占や陰陽道の振興を図ろうとするも、1944年5月に早世した。嗣子がなかったことから、土御門家の家督と爵位は弟の土御門範忠が養子として継承した。
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