高位華族の分家の子爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:57 UTC 版)
明治以降に分家した華族は「一新後華族に列せられたる者」という叙爵内規によって男爵を授爵されるのが基本であったが、本家が高い爵位を持っている場合には特例として子爵位が与えられることがあった(ただし公侯爵の分家でも大半は男爵である)。子爵を与えられた分家華族としては、近衛秀麿家(公爵近衛家分家)、徳川武定家(松戸徳川家)(侯爵水戸徳川家分家)、松平慶民家(侯爵越前松平家分家)の3家がある。また、岩倉具経家(公爵岩倉家分家)、長岡護美家(侯爵細川家分家(長岡家))、山内豊尹家(侯爵山内家分家)の3家も陞爵して子爵が与えられている。
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