華族の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 10:18 UTC 版)
華族という名称が採用された経緯ははっきりとしない。華族制度の策定にあたった伊藤博文は「公卿」、広沢真臣・大久保利通・副島種臣は「貴族」、岩倉具視は「勲家」・「名族」・「公族」・「卿家」などの案を持っていた。討議の結果「貴族」と「名族」が候補に残ったが、決定したのは「華族」だった。 明治以前までは華族といえば公家の家格を表す名称で、摂家5家に次ぐ第2位の家格である清華家7家の別称だった。 平安時代末期までは家柄のよい者を指す言葉として用いられていた。
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