男爵家としてのチャムリー家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 13:50 UTC 版)
「ディラミア男爵」の記事における「男爵家としてのチャムリー家」の解説
そのトマスの子孫にあたるトマス・チャムリー(英語版)(1767年 - 1855年)はチェシャー選挙区選出の庶民院議員を務めた人物で、彼は1821年7月17日に連合王国貴族としてチェスター州ヴェイル・ロイヤルのディラミア男爵(Baron Delamere, of Vale Royal in the County of Chester)に叙せられた。 2代男爵ヒュー(1811年-1887年)は、爵位を継ぐ以前はトーリー党に属してデンビーシャー選挙区(英語版)及びモントゴメリー選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務めた。 その子である3代男爵ヒュー(1870年-1931年)は襲爵後にケニアに移住して現地で地所を購入している。 4代男爵トマス(1900年-1979年)の代には父祖の地であるヴェイル・ロイヤルに再住したが、第二次世界大戦後に邸宅を売却したのちケニアに再び移住した。 その子である5代男爵ヒュー(1934年 - )がディラミア男爵家現当主である。 5代男爵の嫡男トマス(英語版)(1968年 - 2016年)は2005年に自家農場内にてケニア野生生物公社(英語版)職員を射殺して逮捕されたが、のちに不起訴となった。さらに、翌年にもナイバシャ湖近郊に有する地所で密猟者を射殺する事件を起こした。その結果、裁判の末に『故殺(英語版)』と認定されて、8ヶ月にわたって収監された。 そのトマスは2016年に手術中に心停止して死去したため、2020年現在は5代男爵の孫にあたるヒュー(1998年 - )が爵位の法定推定相続人となっている。 男爵家のかつての邸宅は、チェシャー州ノースウィッチ(英語版)位置するヴェイル・ロイヤル・アビー(英語版)であったが、1939年にサナトリウムとして接収されたのち、1947年に売却された。 一族のモットーは侯爵家と同じく、『善行は最良の守り(Cassis Tutissima Virtue)』。
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