男爵家の黎明
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その一族の流れを汲むジョン・ストートン(英語版)(1400-1462)はイングランド領カレー防衛委員を担当した武人にして王室会計長官(英語版)を務めた廷臣でもあり、百年戦争末期には対仏交渉にも赴いた人物である。彼は1448年5月13日に貴族院より「ウィルトシャー・ストートンのストートン男爵(Baron Stourton, of Stourton in the County of Wiltshire)」として議会招集を受けてイングランド貴族に昇った。通常、議会招集によって成立した爵位には男子のみならず女子にも継承が認められる。しかし、ストートン男爵位には「初代男爵の男子相続人」の継承規定が定められて、他のイングランド貴族爵位よりも継承要件が厳格化されていた。初代男爵の死去後、その直系子孫が爵位を襲ったが、2代男爵ウィリアム(1430頃–1478)、3代男爵ジョン(1454頃-1485)は始祖と異なっていずれも国政への積極的な関与は避けた。その後、4代男爵ジョンが夭折すると、爵位は2代男爵のヤンガーソンの系統に移行した。 この系統の5代男爵ウィリアム(1457-1523)は政治の表舞台に再び登場した当主で、神聖ローマ皇帝戴冠に向かうカルロス1世と国王ヘンリー8世が会談した際はこれに随行している。その子の6代男爵エドワード(1463-1535)もヘンリー8世の離婚問題では国王側に付き、教皇への釈明状にも署名した。その息子の7代男爵ウィリアム(1505-1548)はヘンリー8世に随行して国王の4度目の妃アン・オブ・クレーヴズと会見した人物で、1544年のスコットランド侵攻にも参加した。
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