教皇へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 17:41 UTC 版)
「ピウス9世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇へ」の解説
18世紀の終わり、1792年に教皇領のセニガッリアで貴族の家に生まれたジョヴァンニ・フェレッティは神学校で学び、1819年に叙階された。ローマやチリで働き、スポレートの大司教に任命された後、1840年に枢機卿に選ばれた。グレゴリウス16世の死去を受けて行われたコンクラーヴェは、保守派と改革派の激しいせめぎあいとなったが、紆余曲折を経て選ばれたのは改革派とみられていたフェレッティであり、ピウス9世を名乗った。1700年以来最年少となる54歳での選出だった。選出時は内外から熱狂的に歓迎され、新教皇にとって上々の滑り出しであった。
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