教皇の認定
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マルガリタ・マリアは1690年10月17日に没した。しかし、聖心崇敬の勢いは弱まることなく、それどころか、1691年に『イエスの聖心に対する崇敬』の付録として出版されたクロアゼット神父による彼女の短い伝記によりますます広がりをみせた。教皇庁の腰は重く、1693年には聖心友愛会に贖宥状を与え、1697年には聖マリア訪問会に対して聖心の祝日に「5つの傷のミサ」を行うことを認めたが、カトリック教会全体の祝日とすることや、特別のミサや祈祷を設けることは認めなかった。 その一方で聖心崇敬はさまざまな会衆を中心に広がっていった。1720年、マルセイユのペスト大流行の際に、おそらく初めて、会衆を越えて正式な奉献と公の礼拝が行われた。南フランスの他の町でもマルセイユに倣って礼拝が行われ、聖心崇敬が一般的なものとなった。1726年、再度ローマに聖心のための固有のミサと祈祷を請願したが、1729年に再び却下された。しかし、1765年に王妃の要求により教皇庁が折れ、フランスの司教座によって準公式的に祝日が認められた。 その後も方々への請願は続き、フランスの司教たちの頻繁な請願に折れた教皇ピウス9世は、遂に1856年、ローマカトリック教会全体の祝日として大祝日の儀式を取り決めた。1889年にはカトリック教会によって第一級大祝日へと格上げされた。 1928年、教皇ピウス11世はその回勅『ミゼレンティシムス・レデントール』(en:Miserentissimus Redemptor, 1928年)によってマルガリタ・マリアのイエス・キリストのヴィジョンに対する教会の立場を確認し、イエスとマルガリタの対話を複数回引きながら、イエスが聖マルガリタの前に「自ら現れ」、「彼女に対してイエスの心臓へこの崇拝を尽くすものは皆、豊かな神の恵みを受けることを約束した」と述べた。 2006年5月15日、教皇ピウス12世の聖心に関する回勅『ハウリエティス・アクアス』(en:Haurietis Aquas, 1956年)50周年に際して、教皇ベネディクト16世はイエズス会総会長のペーター・ハンス・コルベンバッハ(英語版)に手紙を送り、イエスの聖心に対する崇敬の重要性を再確認した。
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