教皇の認定とは? わかりやすく解説

教皇の認定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 19:16 UTC 版)

聖心」の記事における「教皇の認定」の解説

マルガリタ・マリアは1690年10月17日没した。しかし、聖心崇敬勢い弱まることなくそれどころか、1691年に『イエス聖心対す崇敬』の付録として出版されたクロアゼット神父による彼女の短い伝記によりますます広がりをみせた。教皇庁の腰は重く1693年には聖心友愛会贖宥状与え1697年には聖マリア訪問に対して聖心祝日に「5つの傷のミサ」を行うことを認めたが、カトリック教会全体祝日とすることや、特別のミサ祈祷設けることは認めなかった。 その一方で聖心崇敬さまざまな会衆中心に広がっていった。1720年マルセイユのペスト大流行の際に、おそらく初めて、会衆越えて正式な奉献と公の礼拝が行われた。南フランスの他の町でもマルセイユ倣って礼拝が行われ、聖心崇敬一般的なものとなった1726年再度ローマ聖心のための固有のミサ祈祷請願したが、1729年に再び却下された。しかし、1765年王妃要求により教皇庁折れフランス司教座によって準公式的祝日認められた。 その後方々への請願続きフランス司教たちの頻繁な請願折れた教皇ピウス9世は、遂に1856年ローマカトリック教会全体祝日として大祝日の儀式取り決めた1889年にはカトリック教会によって第一級大祝日へと格上げされた。 1928年教皇ピウス11世はその回勅『ミゼレンティシムス・レデントール』(en:Miserentissimus Redemptor, 1928年)によってマルガリタ・マリアのイエス・キリストヴィジョン対す教会立場確認しイエスマルガリタ対話複数回引きながら、イエス聖マルガリタ前に「自ら現れ」、「彼女に対してイエス心臓へこの崇拝尽くすものは皆、豊かな神の恵みを受けることを約束した」と述べた2006年5月15日教皇ピウス12世聖心に関する回勅『ハウリエティス・アクアス』(en:Haurietis Aquas, 1956年50周年に際して教皇ベネディクト16世イエズス会総会長のペーター・ハンス・コルベンバッハ(英語版)に手紙送りイエス聖心対す崇敬重要性再確認した。

※この「教皇の認定」の解説は、「聖心」の解説の一部です。
「教皇の認定」を含む「聖心」の記事については、「聖心」の概要を参照ください。

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