教皇の逝去から選挙まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:20 UTC 版)
「コンクラーヴェ」の記事における「教皇の逝去から選挙まで」の解説
教皇の逝去にはカメルレンゴといわれる枢機卿が立ち会う。カメルレンゴとは教皇が生前、指名しておいた枢機卿であり、教皇不在時に指示を出す役割を持っている。教皇が逝去したと判断されると、カメルレンゴが銀のハンマーで教皇のひたいを静かに叩き、洗礼名で数回呼んで、反応がないことを確認した上で、死を確認するという儀式がおこなわれていたが、20世紀に入ってからはおこなわれたことがない。『ウニベルシ・ドミニ・グレギス』では、単に教皇庁儀典長と聖職者団の代表、教皇秘書、使徒団の団長など80歳以下の高位聖職者が立ち会って確認をおこなうことだけを求めている。なお、ヨハネ・パウロ2世の死去のときは臨終後に心電図を20分間計測することで死の確認をとった。 カメルレンゴは教皇の死の確認を終えると、元漁師であった聖ペトロにちなんで「漁夫の指輪」と呼ばれる教皇指輪を教皇の指から外し、枢機卿団の前でそれを破壊していた。「漁夫の指輪」には教皇が文書に押す印章(インタリオリング - 指輪印)が付いており、これが教皇の死後に他者の手で不正に使用されることを防ぐためである。『ウニベルシ・ドミニ・グレギス』では書簡用の鉛印とともに破棄を求めており、2005年のコンクラーヴェの際は4月16日の枢機卿会議にて鉛印ともども破壊されている。 教皇の逝去が発表されると、枢機卿団が全員集合して会合を開き、教皇選挙にいたる日程を決定する。この会合には80歳以上の枢機卿は参加しなくても良いが、希望するなら参加することができる。教皇葬儀は死後4日から6日の間におこなわれる。その後、教皇庁全体が9日間の喪に服する。これをラテン語で九日を意味するノヴェンディアレスという。この間も枢機卿団の会合は毎日行われる。教皇選挙は通常、教皇の死後15日以降におこなわれる。全枢機卿がそろわない場合、選挙の実施を最高で20日まで伸ばすことが出来る。
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