教皇インノケンティウス10世の時期の活動
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「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ」の記事における「教皇インノケンティウス10世の時期の活動」の解説
ベルニーニの幸運は、ウルバヌス8世の死(1644年)をもって突然に去って行ったようである。実際、経済的危機の時代に即位した次期教皇・パンフィーリ家出身のインノケンティウス10世は、極めて厳格な人物であった。 この時期から、数多くの芸術注文はベルニーニのライバルだった他の芸術家に委嘱されるようになり、例えばボッロミーニがサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の改装を行い、またカルロ・ライナルディがパンフィーリ宮殿を建設し、さらにはナヴォーナ広場のサン・タンジェロ・イン・アゴーネ教会の建設を始めた。 だがこの時期に、ベルニーニは17世紀の芸術作品の中で最も重要な傑作のひとつを制作した。ローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会(勝利の聖母マリア教会)内、コルナロ礼拝堂の《聖テレジアの法悦》である。 1644年には、ローマのナヴォーナ広場に《四つの川の噴水》を制作した。続いてサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に「修道女マリア・ラッジの記念碑」として《真実》(ボルゲーゼ美術館蔵)を、さらに《インノケンティウス10世の胸像》(ドーリア・パンフィリ美術館蔵)、《フランチェスコ1世・デステの胸像》(モデナ、エステンセ美術館蔵)を制作した。
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