教皇クレメンス11世の回勅
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「典礼論争」の記事における「教皇クレメンス11世の回勅」の解説
この論争の裁定を求められたクレメンス11世は儒教の習慣を続けることはカトリック教会への脅威になりうると判断した。この教皇の判断によって中国の支配階層の人間がカトリックに改宗する機会が失われることになった。 イエズス会員たちはキリスト教の神を指す言葉として中国語の「上帝」を用い、儒教に由来する儀式は宗教的なものというより社会的なものなのでキリスト教徒になった後でも参加してかまわないという見解を示した。また祖先への崇敬も宗教的行為でないとして禁じなかったが、教皇クレメンス11世は1715年に発布した教皇憲章『エクス・イラ・ディエ』 (Ex Illa Die) でこれらをすべて禁じた。 教皇が回勅に記したメッセージは以下のとおりであった。 創造主である神は長くラテン語でデウスと呼ばれてきた。マテオ・リッチが中国に入ったとき、中国語になじむ言葉をと考えて用いたのが「上主」であった。以後神を「上帝」あるいは「天」と呼ぶことを禁ずる。「敬天」という言葉を書いた額を教会内に掲げることもあわせて禁ずる。 春と秋の孔子の祭りおよび先祖への崇敬はカトリック信徒の間ではこれを認めない。儀式に参加せず傍観していることも認めない。なぜなら傍観することも参加の一形態となりうるからである。 清朝の官僚や地域の実力者であってもカトリックに改宗した以上は、月の1日と15日に行われる孔子の崇敬を行うことはこれを禁ずる。 すべてのカトリック信徒は、寺に詣で先祖に祈りをささげることはこれを禁ずる。 家庭内、墓地、葬儀などどんな場所においても先祖への崇敬はこれを認めない。たとえ同行者がカトリック信徒でなくともこれは認めない。それらは異教徒の行いである。 上記のこと以外であって異教の習慣でなければカトリック信徒の中国人が中国固有の伝統や習慣を守ることはかまわない。中国の習慣がカトリック信仰に抵触すると考えられた場合、その判断は在中国教皇使節がこれを行う。教皇使節が不在の場合、判断は同地の司教あるいは宣教地の責任者に一任される。結論としてはカトリックの信仰に矛盾しない範囲においてのみ、中国の習慣はこれを認めるものとする。 1742年、教皇ベネディクトゥス14世は大勅書『エクス・クオ・シングラリ』 (Ex Quo Singulari) でクレメンス11世の決定を再確認したが、論争は決着しなかった。しかし、1773年にイエズス会はクレメンス14世によって禁止され、解散の危機に追い込まれた。
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