教皇ケレスティヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 10:24 UTC 版)
「ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇ケレスティヌス」の解説
こうしてピエトロ・ダ・モローネは教皇ケレスティヌス5世として就任したものの、ローマには行かず自らの身辺をカルロ2世に委ねてナポリ(カンパニア州ナポリ県)に居住した。また、カルロ2世を次期コンクラーヴェの正式な監視人とするばかりか、カルロ2世の望む人物を教会の役職に据えるなど、実質的にカルロ2世の傀儡としての存在となった。 半年足らずの教皇在任中には、フランシスコ会からのスピリトゥアル派の独立を認めている。13世紀中葉にフィオーレのヨアキムの著作の影響が聖者アッシジのフランチェスコが創設したフランシスコ会におよび、13世紀後半に入ると北イタリアや南フランスでは、ヨアキム主義の影響を受けたフランシスコ会の少数派が清貧の厳格な実践を唱えるようになった。この一派が厳格派ないし心霊派と称し、その主張をスピリトゥアル主義と呼んでいる。北イタリアのスピリトゥアル派は1280年以降フランシスコ会内部で弾圧を受けていたが、ケレスティヌス5世はこれを認め「教皇ケレスティヌスの貧しき隠遁者」から独立する。
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