フモーネ幽閉、最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 10:24 UTC 版)
「ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)」の記事における「フモーネ幽閉、最期」の解説
ケレスティヌス5世の退位に伴い、カエターニ枢機卿がボニファティウス8世として即位するも、イタリア貴族のコロンナ家がこの即位に不満を抱くことになった。当初は新教皇ボニファティウス8世の傲慢さが原因だったともいわれているが、ボニファティウス8世の対シチリア政策にも反対しており、ケレスティヌス退位の経緯が教会法に違背しているのではないかと退任の合法性に疑問を呈した。 この追及をかわすためにボニファティウス8世は、前教皇ケレスティヌス5世を拘束してローマの南東およそ36キロメートル、フェレンティーノに近いフモーネ城(ラツィオ州フロジノーネ県)の牢獄に幽閉した。獄中でケレスティヌス5世は感染症から膿瘍の痛みに苦しみ、幽閉から10か月の後に獄死した。86歳前後であり、当時としてはたいへんな高齢であった。 晩年は苛酷な運命に翻弄されたケレスティヌス5世であったが、のちに列聖された。
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