教皇の玉座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 09:23 UTC 版)
ローマ教皇は、ローマカトリック教会の最高責任者としてカノン法のもとで選出された代表者である。と同時に、国際法の下では「最高位の司教」たるバチカン市国 (1929年のラテラン条約によりローマ市内に設立された主権国家)の国家元首でもある。1870年にイタリア統一運動で一旦完全消滅したが、それ以前はローマ教皇領の選ばれた君主として、ローマ教皇は何世紀にもわたってイタリア半島で最大規模の政治権力を有していた。現在でも聖座は公的に認められた外交的地位を保っており、教皇大使や教皇特使たちが世界中で外交使節団の代理としての務めを果たしている。 教皇の玉座(Cathedra Romana)は、ローマ司教としての大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂のアプス(至聖所)にある。 サン・ピエトロ大聖堂のアプス内には、「椅子の祭壇」の上に聖ペテロ自身や他の初期の教皇が使用していたとされる聖ペテロ司教座(英語版)がある。この聖遺物は金銅鋳物(金箔・金メッキを施したブロンズの鋳物)で囲まれており、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計した巨大なモニュメントの一部を形成している。 教皇のラテラノ大聖堂とは異なり、サン・ピエトロ大聖堂には教皇のための恒久的な玉座がないので、彼が典礼式を司式する時はいつも、教皇が使用するための取外し可能な玉座が大聖堂の中に据えられる。第2バチカン公会議を経た典礼式改革の前は、巨大天蓋付きの玉座が「告白の祭壇(大天蓋バルダッキーノ(en)がある祭壇)」のやはり取り外しできる舞台上に置かれた。 この慣行は1970年代までに典礼改革で廃止され、教皇がサン・ピエトロ大聖堂でミサを祝う時はいつも、より単純な携帯持ち運び用玉座が告白の祭壇の前に置かれるようになった。しかし、教皇ベネディクト16世が定時の典礼を司式した時には、より精巧な取外し可能玉座が置かれた。教皇がサン・ピエトロ大聖堂の広場に面した大聖堂の階段の上でミサを祝うときは、携帯持ち運び用玉座も使用される。 過去には、教皇御輿(伊: sedia gestatoria)と呼ばれる持ち運び用玉座も運用されていた。もともとは、教皇の儀式前後にある精巧な行進の一部として使用され、それはファラオの光輝の最も直接的な後継者だと信じられており、両脇に一対のフラベッラ(en)(ダチョウの羽から作られた扇)を従える。教皇ヨハネ・パウロ1世は当初これらの使用を中止していたが、群衆にもっと簡単に見えるよう御輿を後に使うようになった(ただし羽根の扇は復元せず)。同御輿は、教皇ヨハネ・パウロ2世が外出時にパパモビルを使うようになり、お蔵入りとなった。 教皇任期の終わり近くに、ヨハネ・パウロ2世はパパモビル内で使用できる特別な玉座を車輪の上に組み立てた。 1968年以前は、教皇を決めるコンクラーヴェで、各枢機卿が投票中にシスティーナ礼拝堂の玉座に座り、各玉座には上に天蓋を有していた。開票されて新教皇が決まると、枢機卿はみな自分たちの天蓋を降ろし、新たに選出された教皇の天蓋だけを残す。これが新しい教皇の最初の玉座となった。 この伝統は1968年の映画『栄光の座(原題:The Shoes of the Fisherman)』で劇的に描かれた。
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