トゥール司教から教皇へ
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「レオ9世 (ローマ教皇)」の記事における「トゥール司教から教皇へ」の解説
アルザス地方(現在のフランス東端部)のダグスブルクの出身。アルザス貴族のエギスハイム伯家(エティション家の分家)に生まれた。前名はブルーノ (Bruno) である。 神聖ローマ皇帝コンラート2世の縁者であったことからコンラート2世に仕え、1026年にコンラート2世によってトゥールの司教(在位:1026年 - 1051年)に任じられた。1049年、コンラート2世の息子の神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の推挙を受け、トゥール司教在任中にてローマ教皇として即位した。登位は1049年2月12日であった。
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