戊辰戦争・西南戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 00:36 UTC 版)
会津藩高士、家禄300石の高木家に生まれる。高木家は藩大目付を務める家柄であった。会津戦争の当初は伝令を務め、松平容保、定敬兄弟が出陣していた滝沢本陣に危急を報告した。その後年少者で組織された護衛隊に属して篭城戦を戦った。藩降伏後は猪苗代で謹慎生活を送る。この際軍事方水島純の命で同年輩の山川健次郎、赤羽四郎、柴四朗ら五人で謹慎所を脱出し、若松で土佐藩の伴中吉に主君容保、喜徳父子への寛大な措置を嘆願した。処刑もあり得ることを覚悟の上の行動であった。その後東京へ赴き、西南戦争では山川浩陸軍中佐の元で転戦する。戦の最中 嗚呼足れり 深き恨みは はるゝよの 月影清し 苅萱の関 と詠んだ。
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