戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:14 UTC 版)
「双葉町」の記事における「戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結まで」の解説
1868年(慶應4年/明治元年) - 戊辰戦争が勃発し、現在の双葉町域を統治していた相馬中村藩も隣接する磐城平藩や仙台藩らと奥羽越列藩同盟に参加したため磐城の戦いの戦禍に見まわれた。双葉町域は7月29日より福岡藩、津藩、長州藩、広島藩、岩国藩によって新山宿を制圧される。前日の7月28日に夜ノ森(富岡町)付近での戦闘で新政府軍に敗北した同盟軍は、中村藩領の熊川宿(大熊町)に仙台藩兵などが火が放ち、仙台藩兵は自領の駒ヶ嶺城(相馬郡新地町)の手前である藩境の中村(相馬市)まで、相馬中村藩兵は浪江まで後退したため、南標葉郷(双葉町、大熊町)に守備兵はほとんどなく商人や農民などの領民は見捨てられる形となった。新政府軍は熊川宿の火災により迂回し北上したが、さしたる足止めにもならず、翌日には新山までまたたく間に制圧され新政府軍による徴発や略奪が行なわれた。その後、高瀬川(浪江町)を挟んで行なわれた浪江の戦いの時には、新山宿は新政府軍の拠点となった。この戦いでは相馬中村藩は同盟軍より裏切りの疑いをかけられ仙台藩等の同盟軍の援軍がなく単独で戦うこととなった。一時は新政府軍を退却させるなど奮闘したが8月1日には援軍が到着した新政府軍の前に敗北した。この敗北により仙台藩兵など同盟軍は中村より自領等へ引き上げた。これにより相馬中村藩は新政府軍に降伏し8月6日に受諾される。その後も相馬中村藩領では仙台藩が降伏するまでの約2ヶ月におよんで新政府軍により徴発が行なわれた。 明治4年7月14日(新暦 : 1871年8月29日) - 廃藩置県により中村県が成立する。 明治4年11月29日(新暦 : 1872年1月9日) - 中村県と平県が合併されて磐前県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。 1873年(明治6年) - 学制発布により前田小学校、日新小学校(長塚小学校)が開校。 1876年(明治9年)8月21日 - 磐前県・福島県・若松県が合併して現在の福島県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。 1886年(明治19年) - 前田小学校などが統合し新山高等小学校設立。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、標葉郡新山村(しんざんむら)と長塚村が発足する。 1896年(明治29年)4月1日 - 標葉郡が楢葉郡と合併し、双葉郡となる。 1898年(明治31年)8月23日 - 常磐線長塚駅(現在の双葉駅)が開業。 1913年(大正2年)2月1日 - 新山村が町制施行して新山町(しんざんまち)となる。 1913年(大正2年) - 天王山公園で双葉忠魂碑除幕式が行われる。 1918年(大正7年) - 福島私立修齋女学校長塚分校が開校。 1923年(大正12年)4月16日 - 福島県立双葉中学校(福島県立双葉高等学校)が開校。 1945年(昭和20年) - 米軍により新山、長塚、前田、鴻草、郡山、細谷、中浜が空襲を受ける。(磐城陸軍飛行場への空襲)
※この「戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結まで」の解説は、「双葉町」の解説の一部です。
「戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結まで」を含む「双葉町」の記事については、「双葉町」の概要を参照ください。
- 戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結までのページへのリンク