鍋島直明とは? わかりやすく解説

鍋島直明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/19 08:40 UTC 版)

鍋島直明
なべしま なおあきら
生年月日 1870年1月26日
明治2年12月25日
出生地 日本 肥前国佐賀
(現・佐賀県
没年月日 (1937-11-19) 1937年11月19日(67歳没)
出身校 陸軍士官学校卒業
前職 陸軍少将
所属政党 公正会
称号 正三位
勲二等旭日章
功四級金鵄勲章
男爵
配偶者 鍋島 渭子 いし[1]
選挙区 男爵議員
在任期間 1922年9月23日 - 1937年11月19日
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鍋島 直明(なべしま なおあきら、1870年1月26日明治2年12月25日〉 - 1937年昭和12年〉11月19日)は、日本陸軍軍人政治家華族陸軍少将正三位勲二等功四級男爵貴族院議員

鍋島茂明海軍中将は、兄・鍋島茂麟の子。

経歴

肥前国佐賀に深堀鍋島家・鍋島茂精(孫六郎)の次男として生まれた。明治28年(1895年)、藩主一門の白石鍋島家鍋島直暠の長女・ 渭子 いし[1]入婿となり家督を継ぐ。明治25年(1892年)、陸軍士官学校(3期)卒業。明治26年(1893年)陸軍騎兵少尉となる。明治30年(1897年)10月27日、男爵に叙爵した。近衛騎兵聯隊中隊長、載仁親王付武官となる。大正3年(1914年騎兵第六連隊長を務め、大正5年(1916年)8月、陸軍騎兵大佐となり竹田宮恒久王附武官となる。大正8年(1919年)7月25日、陸軍少将となり、同日、予備役に編入された。

大正11年(1922年)9月より没するまで貴族院男爵議員となる。所属会派は公正会。昭和12年薨去享年69歳。墓所は多磨霊園[2]。家督は鍋島直高が継いだ。

栄典

家族

脚注

  1. ^ a b c 華族名簿 大正5年3月31日調」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 鍋島直明”. www6.plala.or.jp. 2024年12月22日閲覧。
  3. ^ 『官報』第2957号「叙任及辞令」1893年5月11日。※鍋島己巳五郎?
  4. ^ 『官報』第3918号「叙任及辞令」1896年7月21日。
  5. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月10日。
  7. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  8. ^ 『官報』第822号「叙任及辞令」1915年5月1日。
  9. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。

参考文献

  • 日本人物大辞典(講談社)
  • 歴代閣僚と国会議員名鑑(憲政資料編纂会)
  • 平成新修旧華族家系大成(霞会館華族家系大成編輯委員会)
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
(白石)鍋島家初代
1897年 - 1937年
次代
鍋島直高




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