若王子家とは? わかりやすく解説

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若王子家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 16:15 UTC 版)

若王子家
本姓 藤原北家四条流山科家庶流
家祖 若王子遠文
種別 公家
華族男爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
京都府上京区
東京市渋谷区
凡例 / Category:日本の氏族

若王子家(にゃくおうじけ[1][2][3])は、藤原北家四条流山科家庶流にあたる華族男爵[4]

歴史

権大納言山科言知の次男若王子遠文を祖とする。遠文ははじめ得度して雄厳と称して聖護院若王子寺住職となり、大僧正に任じられていたが、明治元年(1868年)に勅命により復飾し、明治2年(1869年)に堂上家の列に加えられ[5][3]、蔵米30石3人扶持の家禄を下賜された[6]

明治3年に定められた若王子家の家禄は、現米で254石1斗[6][注釈 1]

明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は、9212円41銭5厘(華族受給者中412位)[8]。明治前期に遠文の住居は、京都府上京区東竹屋町にあった[9]

明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に男爵に叙された[4]。遠文は貴族院の男爵議員に選出されて死去するまで2期在任した[10]

その息子文健も貴族院の男爵議員に当選して務めた[5]。また箱根土地会社取締役や有隣生命保険会社重役などを務めて実業家として活躍した[5]。彼の代に若王子男爵家の邸宅は東京市渋谷区千駄ヶ谷にあった[5]

昭和17年8月1日に文健が死去した後は文俊が爵位と家督を相続[2]。その子に信之、その子に文樹がある[2]

脚注

注釈

  1. ^ 明治3年12月10日に定められた堂上華族の家禄の計算方法は、本禄米に分賜米・方料米・救助米・臨時給与を合算して現高を出し、現米と草高の比率である四ッ物成で計算して草高を算出し、その二割五分を家禄とするものだが、若王子家のように公家の最低の旧禄30石3人扶持の家の場合は、最低保障として、本禄160石、それに分賜米と救助米を加えた現米400石として計算すると定めていたので、草高は1000石、その2割5分の254石1斗が家禄となった[7]

出典

  1. ^ 浅見雅男 1994, p. 26.
  2. ^ a b c 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 329.
  3. ^ a b 森岡浩 2012, p. 386.
  4. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 341.
  5. ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 455.
  6. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 9.
  7. ^ 刑部芳則 2014, pp. 105–106.
  8. ^ 石川健次郎 1972, p. 63.
  9. ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994441/124 国立国会図書館デジタルコレクション 
  10. ^ 衆議院・参議院1990、p81

参考文献




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