若王子文健とは? わかりやすく解説

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若王子文健

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 01:09 UTC 版)

若王子 文健(にゃくおおじ[1] / にゃこうじ[2] あやたけ、1873年明治6年)10月14日[1] - 1942年昭和17年)8月1日[1][2])は、明治から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員

経歴

京都(現:上京区岡松町)で華族・若王子遠文の長男として生まれた[1][3][4][5]。父の死去に伴い、1898年(明治31年)3月2日、男爵を襲爵した[1][5][6]

学習院高等科を経て、1900年(明治33年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][3][5][7]。同年、東京府属となる[2][3]。その後、有隣生命保険重役、箱根土地監査役、日本大博覧会評議員、奉仕会副会長などを務めた[2][3][5]

1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]

栄典

親族

  • 妻:錠子(ていこ、吉田重五郎二女)[1]
  • 長男:文俊(男爵)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』329-330頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ a b c d 『華族畫報 上』496頁。
  4. ^ 『大日本華族大鑑』65頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第13版 下』ニ61頁。
  6. ^ 『官報』第4397号、明治31年3月3日。
  7. ^ 『東京帝国大学一覧 明治33-34年』東京帝国大学、1900年、512頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  9. ^ 『官報』第6324号、明治37年7月29日。
  10. ^ 『官報』第724号「叙任及辞令」1914年12月29日。

参考文献

  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
若王子遠文
男爵
若王子家第2代
1898年 - 1942年
次代
若王子文俊



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