若王子耳夫とは? わかりやすく解説

若王子耳夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 17:24 UTC 版)

若王子 耳夫わかぷりんす みみお
別名
  • 渡辺耳夫
  • 耳夫殿下
  • 伊集院耳夫
  • 330 mimio
出身地 日本静岡県静岡市
学歴 東京国際大学
ジャンル ニュー・ウェイヴ
職業 音楽家
担当楽器
活動期間 1985年 - 2009年
レーベル ナゴムレコード
(1986年 - 1989年)
SSE COMMUNICATIONS
(1990年)
WONDER RELEASE RECORDS
(1994年)
Niw! Records
(2003年 - 2009年)
共同作業者

若王子 耳夫(わかぷりんす みみお)は、日本音楽家静岡県静岡市出身。

1989年から1990年まで電気グルーヴのメンバーとして在籍。在籍時はギターストリングスを担当した。

経歴

石野卓球の高校の同級生という縁で1985年7月23日の静岡サーカスタウンでのライヴから電気グルーヴの前身バンド「人生(ZIN-SÄY!)」に加入するも「ギャグレベルが低い」という理由から、たった一回のライヴでクビになる。翌1986年10月10日、静岡モッキンバードでのライヴから正式に再加入。その後、一浪して東京国際大学に進学し、1987年春から活動の拠点を東京に移す。また大学では劇団健康(現・劇団ナイロン100℃)に所属していた三宅弘城筋肉少女帯の大槻モヨコ(現・大槻ケンヂ)と知り合う。特に大槻とは畳三郎(現・ピエール瀧)と共に「まんが道」というユニットを組んでいたことがある[1]

人生時代は奇声を発しまくるハイテンションなボーカルスタイルで知られた。ちなみに人生時代の持ち歌「耳夫サンバ」は初期のスチャダラパーもサンプリングしている。

1989年4月、人生解散を記念したラストツアー「おばば崩御 さよならおばば(EX分度器)ツアー」に参加。その後、石野に誘われて初台駅近くにあるデニーズ西新宿店で「電気グルーヴ」を結成する。しかし、同年8月20日に大阪・十三ファンダンゴで行われたデビューライヴには交通事故のため出演できず、1989年12月7日の新宿LOFTでの東京初ライヴ「DG NO.1」から音楽活動を再開するが、1990年5月7日の新宿サウンドハウスでの公演終了後、プログラミング担当の高橋ブタオと共に電気グルーヴを脱退した[2]。電気グルーヴのメンバーとして作品への参加は初期の代表曲「電気ビリビリ」「WE ARE」「N.O.」の原曲を収録したインディーズ1stアルバム『662 BPM BY DG』までとなる。

その後はナゴムレコードのレーベルメイトであった死ね死ね団のベーシストとなり、1994年からはBEYONDSのベーシスト中村修一が結成したBadge714に加入する。2003年からは松田岳二CUBISMO GRAFICO FIVE330 mimio名義でギタリストとして在籍していたが、2009年8月23日のライヴを最後に脱退する。以降の活動状況は不明。かつてピエール瀧とはナゴム時代に「悲しい」というユニットも組んでいた[3]

関連項目

脚注

出典

  1. ^ 後に「まんが道」は大槻と筋肉少女帯の内田雄一郎の二人での活動となる。ちなみに1989年に大槻と内田が「まんが道」名義でリリースした『ボヨヨンロック』はオリコンチャートベスト10入りを果たしている。
  2. ^ 脱退の経緯については諸説あるが、いずれも判然としていない。
  3. ^ 人生ナゴムカンパニー『SUBSTANCE V』ライナーノーツ「HISTORY OF 人生」によると1987年に「悲しい」名義でライヴをやっている。

若王子耳夫(わかぷりんすみみお)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:38 UTC 版)

電気グルーヴ」の記事における「若王子耳夫(わかぷりんすみみお)」の解説

石野や瀧と同じく前身バンド人生」から電気グルーヴ参加したメンバーギターストリングス担当ベースも弾く。かつて「人生」ではボーカル担当しており、フロントメンバーひとりであった。 代表曲「耳夫サンバ」は「人生」やナゴムレコードファンだった初期スチャダラパーサンプリングしていた。瀧とは「悲しい」という別ユニット結成し大槻ケンヂ率いる「まんが道」のステージにも参加したことがある電気結成から間もない頃に宝島社から発売されていたビデオマガジンVOS』の連載企画電気グルーヴ的こころ」には石野、瀧、耳夫の元「人生」の三人出演していた。電気初代ギタリストとして吉沢が(一時的とはいえ先に在籍していた経歴があるため、この「電気グルーヴ的こころ」では二代目ギタリストとして紹介されている。高橋と共にアルバム662 BPM BY DG』の発表同時期に電気脱退した後は、ナゴム時代同僚バンド死ね死ね団」に加入して活動経て、さらに「Badge714」に参加する330 mimio名義で、CUBISMO GRAFICO FIVEギタリストとして在籍していたが、2009年8月23日ライヴ最後に脱退

※この「若王子耳夫(わかぷりんすみみお)」の解説は、「電気グルーヴ」の解説の一部です。
「若王子耳夫(わかぷりんすみみお)」を含む「電気グルーヴ」の記事については、「電気グルーヴ」の概要を参照ください。

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