徳川誠家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徳川誠家の意味・解説 

徳川誠家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 16:07 UTC 版)

徳川誠家
丸に三つ葉葵 まるにみつばあおい
本姓 称・清和源氏
徳川慶喜家庶流)
家祖 徳川誠
種別 華族男爵
出身地 静岡県
主な根拠地 東京府
凡例 / Category:日本の氏族

徳川誠家(とくがわまことけ)は、徳川慶喜公爵家の分家にあたる華族男爵家。徳川慶喜の九男徳川誠を家祖とする[1][2]

歴史

徳川誠は旧江戸幕府の15代将軍だった華族徳川慶喜の九男として明治20年に生まれた[3]

当時慶喜は徳川宗家16代当主徳川家達公爵の戸籍に入っていた静岡県在住の無爵華族だったので、誠も生誕時には徳川宗家の戸籍にあった。しかし明治35年に至って父慶喜は、徳川宗家から分家して徳川慶喜家を起こし、その戸主となるとともに、宗家と別に公爵位を与えられたため、誠も慶喜家の戸籍に移った[3]

慶喜家の公爵位は慶喜の七男慶久が継ぎ、弟の誠ははじめ山本重礼の養子に入ってアメリカに留学したが、帰国後の明治45年に山本家と離縁したのを経て[1]、大正2年に至って慶喜家から分家し[2]、同年11月5日に父慶喜の勲功により華族の男爵位を許された[1][4]

誠は横浜正金銀行のアメリカやフランス支店に勤務したのを経て、城東電気軌道重役、浅野セメントの監査役などを歴任[2]。また貴族院の男爵議員も務めた[1]。誠夫人の霽子は名和長憲男爵の長女[1]

徳川誠男爵家の昭和前期の住居は東京市豊島区高田本町にあった[2]

脚注

出典

  1. ^ a b c d e 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 157.
  2. ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 546.
  3. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 156.
  4. ^ 小田部雄次 2006, p. 360.
  5. ^ 『住宅』7巻7号大正11年7月号(住宅改良会)

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  徳川誠家のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳川誠家」の関連用語

徳川誠家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳川誠家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳川誠家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS