徳川貞次郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徳川貞次郎の意味・解説 

徳川貞次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 14:32 UTC 版)

 
徳川 貞次郎
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦12年12月19日1763年2月1日
死没 宝暦13年3月16日(1763年4月28日
改名 貞次郎(幼名
戒名 崇善院
墓所 東京都台東区上野桜木の寛永寺内(淩雲院)
幕府 江戸幕府
氏族 徳川将軍家
父母 父:徳川家治
母:養蓮院(藤井兼矩の娘)
兄弟 千代姫、万寿姫、家基貞次郎
テンプレートを表示

徳川 貞次郎(とくがわ さだじろう)は、江戸時代中期の徳川将軍家男性江戸幕府の第10代征夷大将軍徳川家治の次男。母は側室・養蓮院(藤井兼矩の娘)。徳川家基の異母弟。

生涯

第10代将軍・徳川家治の次男。母は側室のお品の方(養蓮院)。

貞次郎が生まれるわずか2か月ほど前に異母兄の竹千代(後の家基)が生まれている[1]。母の養蓮院は家治に寵愛されていた田沼意次の後ろ盾で家治の側室になった人物で、家基の生母・お知保の方(蓮光院)は家治の父・家重に重用された大岡忠光の後ろ盾で家治の側室になった人物であった。生まれた子供は同年生まれで、このような背景から両者に子供が生まれると同時に、大奥での主導権争いが熾烈になったという。

若君誕生に伴う諸行事として、奥右筆組頭の白井藤右衛門や目付の松平忠香らが奉行として行なわれ、七夜祝いの折に幼名を貞次郎と命名されて御台所五十宮(心観院)が養うことが決められた。

しかし、生後3か月後の宝暦13年(1763年)3月16日に夭折した[1]。上野寛永寺の淩雲院に葬られたが、現在は現存していない。

徳川貞次郎が登場する作品

テレビドラマ
  • 大奥(2024年、フジテレビ、演:市田理葉[2](第8 - 10話)→ 鈴木福[3](最終話)。貞次郎が豊千代(後の第11代将軍・徳川家斉)になっている設定。

脚注

  1. ^ a b 北島 1989, p. 294.
  2. ^ ピカロエンタープライズ - Instagram 2024年3月14日
  3. ^ "木曜劇場「大奥」:最終回でサプライズ! 家治亡き後に分かった大きな"うそ"とは? 次代将軍・家斉役に「びっくり」の声(ネタバレあり)". MANTAN WEB. 株式会社MANTAN. 28 March 2024. 2024年3月28日閲覧

参考文献

  • 北島正元『徳川将軍列伝』秋田書店、1989年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  徳川貞次郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳川貞次郎」の関連用語

徳川貞次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳川貞次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳川貞次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS