叙爵基準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:07 UTC 版)
叙爵の基準について華族叙爵内規では「公爵ハ親王諸王ヨリ臣位に列セラルル者 旧摂家 徳川宗家 国家二偉功アル者」、侯爵は「旧清華家 徳川旧三家 旧大藩知事即チ現米拾五万石以上 旧琉球藩王 国家二勲功アル者」、伯爵は「大納言迄宣任ノ例多キ旧堂上 徳川旧三卿 旧中藩知事即チ現米五万石以上 国家二勲功アル者」、子爵は「一新前家ヲ起シタル旧堂上 旧小藩知事即チ現米五万石未満及ヒ一新前旧諸侯タリシ家 国家二勲功アル者」、男爵は「一新後華族二列セラレタル者 国家二勲功アル者」と定められていた。ただし内規と実際の運用が異なっていたケースとして、内規では皇族が臣籍降下して華族になると公爵に列せられるはずだが、実際には臣籍降下で公爵に叙せられた者はなく、侯爵か伯爵だったことなどがある。 旧公家や旧武家の叙爵については、特に鎌倉時代から江戸時代までの家格に重きをおきつつ複雑に細分化された格式は考慮の対象外とするなど合理的な判断基準が採用された。とりわけ華族の中核たる堂上華族については清華家に次ぐ格式を誇る大臣家の格式が無視され、半家同様と位置付けられた。武家においても石高を重視する一方で伺候席の序列や室町幕府由来の格式が無視され、これらのことから一部の公家や武家からの反発を生み処遇を不満とした華族当事者やその旧家臣から陞爵運動が起きた。また爵位の授与対象として検討されながらその恩典に与らなかった士族については族称のみ相続が許され、反対に士族授産や廃刀令により逆に身分的特権が剥奪されていくことになり国内各地で士族反乱が発生することとなった。
※この「叙爵基準」の解説は、「爵位」の解説の一部です。
「叙爵基準」を含む「爵位」の記事については、「爵位」の概要を参照ください。
- 叙爵基準のページへのリンク