士族反乱とは? わかりやすく解説

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士族反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 22:02 UTC 版)

士族反乱

筥崎宮福岡市東区)にある明治九年の変先覚烈士之碑
神風連の乱、秋月の乱、萩の乱の首謀者を顕彰する
戦争:士族反乱
年月日1874年2月 - 3月
1876年10月 - 12月
1877年2月 - 9月
場所佐賀県熊本県福岡県山口県鹿児島県
結果:政府軍の勝利、徴兵制の確立。
交戦勢力
明治政府 不平士族
士族反乱

士族反乱(しぞくはんらん)は、日本明治初期に旧武士階級であった士族明治政府に対して起こした一連の反政府活動である。

概要

江戸時代後期に開国し、王政復古により成立した明治政府は四民平等政策のもと、大名、武士階級を廃止して華族、士族を創設する。秩禄処分により俸禄(家禄)制度は撤廃され、廃刀令の施行など身分的特権も廃された。また、明治政府が行う文明開化殖産興業政策による西洋技術・文化の輸入、朝鮮出兵を巡る征韓論で政府が紛糾し、明治六年政変西郷隆盛江藤新平板垣退助らが下野すると士族層に影響を与え、明治政府に反対する士族は「不平士族」と呼ばれた。

1874年(明治7年)に江藤が故郷の佐賀県で擁立されて反乱佐賀の乱)し、1876年(明治9年)には熊本県で神風連の乱、呼応して福岡県で秋月藩宮崎車之助を中心とする秋月の乱、10月には山口県で前原一誠らによる萩の乱など反乱が続き、それぞれ鎮圧された。

1877年(明治10年)には旧薩摩藩の士族が中心になり西郷隆盛を大将に擁立して、維新後では最大規模の内戦となる西南戦争が勃発。西郷隆盛に呼応する形で福岡でも武部小四郎ら旧福岡藩士族により福岡の変が起こった。政府は反乱軍の2倍以上の兵力を投入し鎮圧したが、兵数、装備、兵站など、政府軍はあらゆる面で西郷軍より有利な条件を有していたにもかかわらず、同等の戦死者数、戦傷者が発生するなど、政府の軍事的な弱さを露呈する結果ともなった。この戦いは日本のその後の富国強兵政策の礎になった。また、いわゆる薩長土肥出身者による藩閥を生むことにもなった。

西南戦争以後、不平士族の反対運動は反乱に加担しなかった板垣らを中心に、国会開設や憲法制定を要求する自由民権運動に移行する[1]

呼称

日本政治史研究の坂野潤治と産業政策研究の大野健一明治維新を「明治革命」として捉え、不平士族という呼び方では彼らの歴史的役割を矮小化するとして、「革命軍」と呼ぶことを提唱する[2]

脚注

  1. ^ 丸山 雍成『博多・福岡と西海道 (街道の日本史)』吉川弘文館、2004年2月1日、126頁。ISBN 978-4642062480 
  2. ^ 坂野潤治大野健一共著『明治維新 1858-1881』講談社現代新書、2010年、p26

関連項目


士族反乱(自由民権運動)

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明治」の記事における「士族反乱(自由民権運動)」の解説

1873年明治6年)の征韓論政変により下野した板垣退助は翌1874年明治7年後藤象二郎江藤新平副島種臣らと愛国公党結成由利公正らと民撰議院設立建白書明治7年1874年1月政府左院提出し高知立志社設立する。この建白書各地新聞掲載されたことで、政府に不満を持つ士族中心に運動進められるようになった一方民選議院設立すべきか否か議論新聞雑誌紙上盛んに交わされるようになった。翌1875年明治8年)には愛国社結成されるが、大阪会議板垣参議復帰して漸次立憲政体樹立の詔を出すとともに官選元老院設け大審院置いて裁判制度整備し地方官会議開いて地方議会開設について討議した。また一方で政府新聞紙条例讒謗律制定し急進的な反政府言論活動取り締まった。後になり立志社西南戦争乗じて挙兵しようとしたとする立志社の獄発生して幹部逮捕されている。 民撰議院設立建白書名を連ねた江藤新平1874年明治7年郷里佐賀島義勇と共に不平士族首領となって反乱起こした佐賀の乱)。政府はこれを鎮圧したが、廃刀令家禄制度の廃止などによって士族の不満はいっそう高まった1876年明治9年熊本神風連の乱福岡秋月の乱山口萩の乱一連の士族反乱が起こり、翌1877年明治10年)ついに西郷隆盛首領とする鹿児島士族ら約4万人政府に対して兵を挙げた西南戦争)。西南戦争政府にとっても大きな試練で、新し軍隊総動員して約8ヶ月渡って九州各地激し戦闘展開された。戦争のさなか木戸病死西郷自刃し、翌1878年明治11年)には大久保東京不平士族島田一郎ら6名により暗殺された(紀尾井坂の変)。こうして明治政府の「維新三傑体制終わりを告げ薩長元老による官僚藩閥政権確立した自由民権運動の共通の目的国会開設であった次第農民の間にも支持層広がり1880年明治13年全国民権派団体大阪集まって愛国社大会開き国会期成同盟結成し87千名余の署名連ねた私擬憲法草案され始め40編以上が発表された。イギリス流の二院制議会政治交詢社嚶鳴社)、人民主権一院制立志社植木枝盛)、君主義五日市憲法)などのように民権派から発表されたものが多かった1881年明治14年開拓使官有物払下げ事件端を発した明治十四年の政変で、井上毅伊藤博文岩倉具視ドイツ憲法支持者即時国会開設唱えていた急進派官吏政府から追放する一方国会開設の詔勅」を発し1890年明治23年)に議会開設することを国民約束したその結果明治政府から追放されることとなった板垣退助自由党を、福地源一郎立憲帝政党を、大隈重信立憲改進党結成し、来る国会開設準備図ろうとした。 1882年明治15年道路造成事業反対した農民自由党員らが検挙され福島事件)、続いて加波山事件秩父事件など東日本各地自由党員らによる暴発事件起こった。こうして自由民権運動衰退していき、1887年明治20年大同団結運動起こし政府迫ったが、政府保安条例発して多く民権運動家を東京から追放した財政面では、西南戦争後インフレーション整理を図るため、大蔵卿松方正義中心に1882年明治15年)に日本銀行創立し1885年明治18年)から正貨である銀貨引き換えのできる兌換紙幣発行させた(銀本位制)。また官営工場民間払い下げ影響から政商生まれ、のちにこれらは財閥形成していった。 1882年明治15年)、政府内で実権握った伊藤憲法調査のためヨーロッパ訪問帰国1884年明治17年華族令制定し国家功労者にも爵位与えて華族とし、貴族院作るための華族制度整えた1885年明治18年)には太政官制廃止して内閣制を導入し初代内閣総理大臣には伊藤博文就任1888年明治21年新設され枢密院議長にも就任した1888年明治21年)には市制町村制府県制郡制公布され地方自治制が実施された。1889年明治22年大日本帝国憲法、翌1890年明治23年教育勅語発布された。 伊藤以降初期内閣構成はいずれ薩摩藩黒田清隆松方正義)と長州藩伊藤博文山縣有朋)を中心にして組閣され、1890年明治23年11月25日帝国議会の幕が開いた以後激し選挙干渉にて民党抑えようとしたが、1892年明治25年)に成立した第2次伊藤内閣時には政府自由党次第歩み寄り進め協力して政治運用するようになった伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義

※この「士族反乱(自由民権運動)」の解説は、「明治」の解説の一部です。
「士族反乱(自由民権運動)」を含む「明治」の記事については、「明治」の概要を参照ください。

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