東京警視本署
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:39 UTC 版)
警視庁発足時から各地で士族反乱が発生し、地方の警察力では対処できなかった。政府は全国の警察を一元化するため、1877年(明治10年)1月11日に警視庁を廃止し、内務省警視局直轄の東京警視本署へと改編した。(庁舎はそのまま使用された) 川路利良大警視は内務省に対し兵器の貯蔵を上申し、東京警視本署は陸軍省から7000挺の小銃を借用して、陸軍士官の派遣を受け、軍事訓練を行った。1877年(明治10年)、最大の士族反乱となった西南戦争に警視隊(9500名)を編成して従軍し、陸軍を支援した。 西南戦争終戦後、国内の治安が安定すると、武断的な警察に批判が高まり、1881年(明治14年)1月14日に警視庁が再設置され、本来の警察業務に戻った。
※この「東京警視本署」の解説は、「警視庁 (内務省)」の解説の一部です。
「東京警視本署」を含む「警視庁 (内務省)」の記事については、「警視庁 (内務省)」の概要を参照ください。
- 東京警視本署のページへのリンク