警視隊抜刀隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/26 14:42 UTC 版)
1877年(明治10年)、士族反乱西南戦争が起こった。警視庁(東京警視本署)は賊徒鎮定と治安維持のため、9500名からなる警視隊(別働第三旅団)を編成し、川路利良大警視(警視総監)が陸軍少将を兼任して旅団長を務めた。警視隊は大日本帝国陸軍の支援を行い、激戦となった田原坂の戦いでは警視隊から剣術に秀でた者100余名が選抜され、抜刀隊として戦った。抜刀隊の奮戦は、維新後廃れていた剣術が再評価される転機となった。
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