電話による火災報知の歴史
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「119番」の記事における「電話による火災報知の歴史」の解説
1876年(明治9年)、アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明したが、その翌年の1877年(明治10年)にはもう日本へ電話機が渡来している。日本の電話の実用化は一般の加入電話よりも、組織内に構築された専用電話が先行した。 1878年(明治11年)5月17日には内務省から内務省警務局東京警視本署への11町13間(約1.2Km)に警察電話が架線されている。同年9月には大阪で、また同年12月には横浜でも 警察電話が架設された。このほか1891年(明治24年)12月28日、警視庁から東京市内にあるすべての警察署、巡査派出所、消防分署、消防派出所に非常報知機を設置し、その通信線の架設を完了させるなど、警察組織が通信設備の近代化に積極的に取り組んでいたことが伺える。 警視庁内に置かれた消防組織において、火災出場の迅速化を目的に専用線をはじめて架設したのは1887年(明治20年)である。放水用の馬ひき蒸気ポンプの火入れや早期出場のため、警視庁消防本署(1881年に内務省警視局消防本部から改められた)から各消防分署へ警察電話(消防電話)を架設することが計画された。その第一弾として消防本署から蒸気ポンプを置いている万世橋派出所および浅草橋派出所 への電話線架設工事が同年6月24日より始まった。蒸気ポンプは火を入れてから圧力が上昇するまで20分間を要するため、早期の点火が望まれていた。また同年8月26日、消防本署直轄の幸橋派出所(芝区)にも蒸気ポンプを配備するとともに電話架設工事が始まり、同年12月12日に警察電話が開通した。少し遅れた同年12月23日には万世橋と浅草橋の両派出所への警察電話も開通した。このように消防組織における電話活用は1887年暮れに始まった。
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