警察的意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
川路利良は、明治6年(1873年)10月に警察制度について非公式に建言した。フランスなどヨーロッパの警察を視察した上で、フランスなどでは「地方の一揆暴動」に対してみだりに兵(軍隊)を動かすのは恥と認識されており、警察による出動で対処していると報告した。 警視庁は、士族の反乱に対処するため、地方への出動を合法化するため一時「東京警視本署」と改称し、西南戦争でも大きな戦力となった。 しかし、西南戦争の終結後、警察は内乱への対処から、日常的な秩序維持へと機能の再転換がはかられた。明治14年(1881年)に東京警視本署は警視庁に戻され、定員は6000人から半減し、半数は新設の陸軍東京憲兵隊に移された。また、陸軍から借りていた小銃などの武器も返された。 現在の警視庁が平成26年(2014年)に行った「140年の重大事件」アンケートにおいて、警視庁職員によるアンケートで「西南の役(西南戦争)」は9位に挙げられている。
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