呉楚七国の乱とは? わかりやすく解説

ごそしちこく‐の‐らん【呉楚七国の乱】

読み方:ごそしちこくのらん

154年諸侯領土削減した前漢景帝対し、呉・中心に趙(ちょう)・膠西(こうせい)・膠東・菑川(しせん)・済南7王国起こした反乱。3か月鎮定され、諸王侯の力は弱まり皇帝中央集権的支配体制確立した


呉楚七国の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:31 UTC 版)

呉楚七国の乱(ごそしちこくのらん)は、中国前漢紀元前154年に、呉王ほか七国の諸侯王が起こした反乱。宗室である劉氏同士の内乱であった。


  1. ^ 袁盎と鼂錯は政敵の間柄であり、劉氏の和についてなど政策でもあらゆる点で反対だったため、極めて仲が悪かった。実際に鼂錯は呉王の蜂起を理由に袁盎を殺そうとしたものの、景帝の言により隠居させるに留まっていた。袁盎は機を逆に利用し、鼂錯を殺したのである。ただし、鼂錯の殺害も反乱への対応の一環でしかなかったかも知れない。


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呉楚七国の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:48 UTC 版)

周亜夫」の記事における「呉楚七国の乱」の解説

紀元前154年景帝とその側近当時御史大夫だった鼂錯中心となって行った急激な中央集権化政策反発した漢の宗室である呉王劉濞が、楚王趙王などの諸侯王と謀って大規模な反乱起こした。これが呉楚七国の乱である。 太尉となった周亜夫景帝の命を受けて大軍率い、呉王の率い反乱軍主力と戦うべく、前線梁王劉武景帝同母弟)からの援軍要請無視して昌邑に入る。そして昌邑守備固め反乱軍補給線を絶たせることに成功する補給線絶たれ反乱軍劉武への攻撃から昌邑への攻撃へと切り替えるも、堅い守りに敵わず、反乱軍陽動作戦を行うも周亜夫はこれを看破平地において反乱軍戦車撃破し追撃反乱軍主力部隊壊滅した。 呉王ら反乱側の諸侯王はほとんどが殺害されたり、自殺するなどして、この反乱は3ヶ月ほどで鎮圧された。これにより、漢王朝中央集権化政策をさらに積極的に推し進めることになった

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呉楚七国の乱

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景帝 (漢)」の記事における「呉楚七国の乱」の解説

「呉楚七国の乱」も参照 この時代に、皇族宗室である劉氏一門封じられ諸侯王領内徴税・官吏の任命権などを掌握し分国半独立国の様相呈していた。この問題前代以来のことであり、文帝対策徐々に行っていたものの、この問題に対して消極的な対応であり(文帝自身諸侯王である代王から皇帝になっている)、中郎将袁盎諫言もあって抜本的な対策先送りにされていた。 基本的に文帝方針継承した景帝であるが、分国問題に関して袁盎犬猿の仲である御史大夫鼂錯献言に従って諸侯王権力削減着手し諸侯王些細な過失理由封土没収し中央集権体制構築して行った。これに反発した諸侯王密かに連携し紀元前154年に呉王劉濞中心とした反乱発生した(呉楚七国の乱)。当初反乱軍優勢であったが、周亜夫活躍によりこの反乱鎮圧されている。 呉楚七国の乱の鎮圧以降諸侯王封土官僚である相(諸侯相)を派遣して統治させ、諸侯王徴税される税を受け取るのみとし、当初計画していた諸侯王権力削減成功したまた、呉楚七国の乱鎮圧功労者である周亜夫を、皇太子冊立をめぐる対立により丞相から解任した。それからしばらくして前漢では初め自身側近丞相任じた。このことは従来皇帝政策にも制約加えるだけの権力与えられていた元勲たちとその一族からのみ任命されることが不文律化していた丞相権力が、景帝時代大きく低下し逆に皇帝権力飛躍的に強化されたことを示している。

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