前史および背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 03:10 UTC 版)
1879年(明治12年)3月、琉球処分官松田道之は内務卿伊藤博文の命で琉球処分の大綱をまとめていた。この要綱には先行した本土の一連の士族反乱から西南戦争までの流れを受け、沖縄の風俗や慣習、特に(士族層の)秩禄処分や寺領の削減、林政への介入などは(内地即ち日本本土の)廃藩置県から士族反乱までの轍を踏むものとして避けるべきものとされ、沖縄の政治社会の旧規を改良するに止めるべきである、との旧慣温存政策の原形となる方針が既に出されていた。 1879年(明治12年)の琉球処分によって沖縄県が設置され、旧藩王尚泰が東京へ連行されると、幕末近い19世紀初頭から琉球王府の財政困窮と過酷な貢制に庶民は喘ぎ続けていたため、平民層からは内地支配を歓迎する声さえあったという。
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