前史─ニュース映画から本格的記録映画まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:08 UTC 版)
「朝日映画製作」の記事における「前史─ニュース映画から本格的記録映画まで」の解説
1924年4月、朝日新聞社は、ニュース映画「朝日映画週報」を制作、さらに、1934年7月「朝日世界ニュース」を製作して全国の映画館で上映していた。製作は名目上、朝日新聞社となっていたが、実際はPCLのニュース映画部門が担当した。 1936年6月19日、朝日新聞社は北海道の皆既日食を記録し、『黒い太陽』(19分・16mm・白黒)を製作。撮影を後に原爆記録映画に参加する三木茂、後の1964年東京オリンピック記録映画をつくる林田重雄が担当した。1,200mmの大望遠鏡を五藤光学研究所が提供した。
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