前史 1516年まで
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「スペイン黄金時代美術」の記事における「前史 1516年まで」の解説
イスラム勢力をイベリア半島から追い出すレコンキスタが1492年に完了し、ふたりでスペイン王座に就いたイサベル1世とフェルナンド2世は本格的に絵画のパトロネージュを開始する。しかし当時のスペインは美術の中心であったイタリアの諸都市の美術に近づける環境ではなく、自国の審美眼も肥えたものではなかった。相次ぐ戦争によって文化はあまり重きを置かれなかったことや、イスラーム支配による絵画芸術の伝統の断絶など様々な要因があげられるが、外国から芸術家をスペインに招聘するという形でその後進性を埋めようとした。彼らは当時都が置かれていたトレドや貿易の一大拠点のセビリアに集い、後に繋がる美術の土壌を作っていった。 1492年、バルト海沿岸のレバル(現在のエストニア、タリン)出身で、フランドル地方のブリュージュでフランドル派絵画を学んでいたミケル・シトーはスペイン宮廷に仕えることとなった。そこでフェルナンド王の肖像などを北方的なタッチで描きだし名声を博した。他にも多数宗教画などを描き、その後の王族に愛され後進に確かな影響をもたらすものの、20世紀になるまで忘れ去られ現在はほとんど作品が残っていない。他にはこちらもフランドル派の画家フアン・デ・フランデスが陰影のしっかりした北方的な宗教画や肖像画を描いている。このように北方ルネサンスのフランドル絵画と密接な関係にある。ただスペイン出身の画家も現れ始め、パレンシア出身のペドロ・ベルゲーテはフランドル派の描き方を習得した後イタリアへ旅して、ウルビーノの宮廷とも関わった可能性が高い人物で、1483年にスペインへ帰ってくる。彼のイタリア風の表現は宮廷のみならず教会も欲しがり、広く影響を与えた。おそらくスペイン人画家で最初期にイタリアの表現や技法をスペインに本格的な形で導入した人物であるから、美術史的に重要な人物である。イタリアからの影響という点ではフアン・デ・ボルゴーニャがフレスコ画の技法をイタリアから導入したことも特筆される。アビラやトレドの大聖堂にトスカーナ的な彼のフレスコ画が多数残っている。 宮廷以外の地域でも絵画の革新が興った。貿易と金融で当時スペイン一の豊かさを誇ったバレンシアではイタリアの画家パオロ・ダ・サン・レオカディオが写実性に富んだ作品を生み出し、バレンシア出身の画家フェルナンド・イェーネス・デ・ラ・アルメディナは、同時期に活躍していたレオナルド・ダ・ヴィンチの様式を見事に吸収している。同じくバレンシアのエルナンド・リャノスもイタリア絵画の流れを汲んだ作品を多く描いている。同じく港湾都市のバルセロナでもミラノからナポリまでを渡り歩いて修業したペドロ・フェルナンデスが現れ、主に祭壇画で活躍した。セビリアではアレホ・フェルナンデスが1540年代までセビリアの画壇に君臨していた。 これらのようにフランドル派とイタリアルネサンス絵画からどん欲に学び、以降の強固な素地を創り上げた。しかし学びはしたがスペインに純ルネサンス的な絵(例えばギリシア・ローマ神話などを画題にしたものなど)は流行らず、熱心なカトリシズムのため宗教画が主であった。また、スペイン人の画家も活躍し始めたものの、やはり外来の画家の方が先進的だとされ重宝される時代は17世紀まで顕著である。
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