前史〜保険医協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:18 UTC 版)
「全国保険医団体連合会」の記事における「前史〜保険医協会」の解説
第二次世界大戦前に健康保険法が制定される以前は、医療は自由診療であり、医療は一般の国民にとって縁遠いものであった。戦時中に健康保険法、国民健康保険法が相次いで成立し、医師は保険医になれば医療行為に対して保険者から診療報酬を受け取れることとなった。しかし、戦前から終戦直後にかけては、健康保険の受診率は低かったため、開業医(保険医)の立場は現在と比べても弱く、保険医になる医師も少なかった。 また、終戦直後には急激なインフレや保険者による支払いの遅延、医療資材をヤミで入手しなければならなかったことなどもあり、患者だけでなく開業医(保険医)にとっても苦難の時代であった。その上、戦後まもなくから低医療費政策を採用した政府に対し、解体・再編された日本医師会は妥協的であった。このような状況のもと、戦地や外地から引き上げた後に開業した医師らを中心に、政府に有効な政策を要求すること及び保険医の地位を向上させることを目的とした保険医の団体が各地に設立されはじめた。1948(昭和23)年に社会保険診療報酬支払基金が設立されると、診療報酬の支払い遅延や基金・厚生省当局による診療報酬明細書(いわゆる「レセプト」)の審査を巡り各地の保険医団体がその「不当性」を訴えるなどした。このようななか、大阪府保険医連盟(1947年=日本で初めての開業保険医団体。1949年に大阪府保険医協会と改称)、京都府保険医協会(1949年)、愛知県保険医協会(1949年)、北海道保険医会(1950年)が相次いで設立された。これらの保険医協会・保険医会が発端となり、各地に保険医協会が設立されてゆく。
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