苦難の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/23 13:25 UTC 版)
「ロマン=シュル=イゼール」の記事における「苦難の時代」の解説
16世紀半ば、ロマンは大寒波、大干ばつ、黒死病という大災害に遭遇した。宗教的・社会的な緊張は1562年に頂点に達した。ロマンの地ではユグノーの名において都市が荒らされ、1580年の謝肉祭は血塗られたものとなった。 続く200年間、都市は停滞した。製革と絹産業が台頭する間に、ロマンの毛織物産業は消滅した。同時代、ロマンにはカプチン会、レコル会、ウルスラ会、サン=ジュスト会の修道院がやってきた。 1680年、イゼール川対岸でロマンと向かい合う場所に、新たな村落ができた。これがのちにブール=ド=ペアージュとなった。 1788年12月、ドーフィネの地方三部会が、ロマンにおいてコルドリエ修道会派修道院で開催された。彼らの請求は、1789年のヴェルサイユにおける全国三部会で用意された。
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